お久しぶりです。2025年度委員長を務め任期満了となりました、史がない女王陛下です。
本稿では『葦』2025年度総括号に寄稿しました「2025年度反省」を再掲し、引退に際しての言葉としたく思いますのでご一読いただけたらと思います。
はじめに
「活動反省」と題しているものの筆者単著となっている点に違和感を覚えたものがいたのならば、ぜひ本稿を心に置き運営の道を目指してほしいと願う。
本稿は委員長の主観による、2025年度の活動反省である。ゆえに運営側の視点はおおよそ網羅しているが、運営に立たない会員の目線は大きく欠いたものとなっていることを念頭に置き、ご一読願いたい。
1. 昨年度末総会にて述べた方針の振り返り
2025年度において、代替わりは4月1日であった。だが委員長選挙自体は前年度末の総会で行われており、当総会終了後より、次期委員長には次年度に関する活動権限が与えられる制度となっている。故に、今年度を語る上でまずは昨年度末総会における次期委員長の所信表明演説を振り返り、当初の構想を明らめたく思う。
所信表明演説における次年度テーマは「会のコミュニティー化」であった。背景としては現在2年生の代からの意見として、会にコミュニティーを求めているというものが強かったことが挙げられる。また、昨年度はOBらとの交流が再開した年でもあったが、旧来の史学研の姿がまさにそれであったことも影響している。
このコミュニティー化に向け、会内部、外部双方で協力を進めていくことを打ち立てていた。これにより、会に所属する価値を高めるとともに会員個々人が持つ個性を伸ばし不足を内外で補う体制を以て全体としての活動の質を高めんとするものである。具体案は後述するとして、これらには運営側の協力が不可欠であり、その負担を大きく増やすものであるのは自明である。そのため、運営を「犠牲」にしないことを宣明し、会の仕事を実行することが「学び」となるよう努めていく旨を述べた。また運営全体としては、自他共に「選択肢を守る」運営となるよう導いていきたいとした。
具体案の一つとしては「縦軸と横軸の交差」を訴えた。具体的には、縦軸には旧来の形態から一新した新制度の「ゼミ」(日本史、東洋史、文化史、西洋史)を据え、横軸には昨年度より引き継いだ研究発表形態である口頭発表(発表会)、文書発表(葦の執筆)、Webコラムを据え、それぞれが間接的に関わることで分野の独自性を保ちつつ会としての統一性も保つというものであった。
また外部の活用という点では「史学研のネットワーク化」という観点を表明している。具体的には、史学研をハブとして史学系のサークルを繋ぐことで界隈全体での緩やかな協働体制を築くものであった。背景としては昨年度を通じ見えてきた史学系サークルの低迷があり、近接学問分野であるである地理学のサークルがそうであるような「大きなサークル」となることを防ぎつつ、自らも含めた史学系サークル全体の興隆を目指していこうというものである。
加えて会内においても「ハブ」を作ることを目論んでいる。昨年度の課題として、集まりたいという意識は点々と見られていたものの具体的な場所がなく断念していたというものがあった。このため、この根本である会室の解放を基軸とする会のハブ化という構想が打ち立てられた次第である。というのも、他大学とは異なり中央大学においては会室解錠に必要な鍵は4号館(俗に言うサークル棟)から徒歩5分ほど離れた場所で借りる必要があり、貸出場所自体が大学玄関口であるモノレール改札とは4号館を挟んで反対向きにあるという立地のため、返却時の手間を負担として、能動的に動かなければ会室が解錠されるという状況が中々生まれにくいものとなっている。この状況を受け、まずは代表委員により鍵の解錠を当番化することで場所の確保を行おうという試みであった。その他、お茶会や定期の活動日を設けるという案もあり、全体として活動のスイッチを入れたいと目論むものであった。
以上が昨年度末総会においての所信表明演説の概要である。以降、個別項目を立てつつこれらと照らし合わせながら今年度の活動を振り返っていきたい。
2. コミュニティー化
所信表明演説において最大のテーマは「会のコミュニティー化」であった。まずはこの点に関して、会の内部と外部に大分し検討していく。
1. 会内部におけるコミュニティー化
大きく総括するに、半分成功、半分失敗というのが会内部におけるコミュニティー化であった。
前提として、当初想定していたコミュニティーは「学術的コミュニティー」であり、学問(特に歴史学)を中心とした会談や意見交換の場を指すものである。ここから滲むように、筆者として想定していた会の方向としては緩やかな学術寄りの団体である。当然サークルらしい交流を捨てるものではないが、根底はあくまで学術に置いていた。一方、結果としてできたのは学術的とは言い難いものである。
詳細は後述したいが、今年度秋季定例総会を分け目として前半は会としてほぼ機能しておらず、史学研は半ば日本史ゼミによる「日本史の巣」となっていた。故に、日本史勢に限れば確かにコミュニティーが形成されていたという見方もできなくはないが、会全体から見ればコミュニティーと呼ぶよりか「占領」とも受け取られかねない様子であった。
とはいえ秋季定例総会を終えた後半では日本史ゼミの活動も落ち着きを見せ、分野を問わない「コミュニティー」としての機能を会ないし会室が果たしていたと評価できる。だがこの「コミュニティー」は前述したように学問的なものとは呼べず、どのサークルにも見られるような「学生集団」の延長のようなものである。
この結果を見るに、確かにコミュニティーは生まれたもののそれは当初描いていた「会に所属する価値を高めるもの」ではないと筆者は考える。というのも、確かに後半における「コミュニティー」は会室に人が集まるきっかけとなっていたという事実がある。だが一方で、以前に増して「会室中心」の活動となり、2023年度より茗荷谷へと移転した法学部をはじめとする都心キャンパスの学生らの参画を抑制するものともなってしまった。また、後述する座談会などの会室での企画は会室に訪れる理由でもあった一方で、「邪魔をしないように」であったり「興味がないから」であったりと会室に赴かない理由にもなってしまっていたと筆者は俯瞰する。
当然、会室でのイベントを批判する文脈ではないものの、それに頼り切るというのはなんとも無策であったという反省が浮かんだ。
2. 会外部におけるコミュニティー化
所信表明演説において、会外部とのネットワーク化を目論む旨が述べられていた。これに関して、年度を終えようとしている現段階において「失策」の一言に尽きると猛省している次第である。
第一に、昨年度より本会の新たな中心事業に位置付け取り組んでいた合同発表会が、大学側には史学研の活動ではなく運営を担っていた筆者個人の活動であるとみなされていた点が挙げられる。メールや対面等で逐次説明を重ねていたつもりではあったが、伝わっていなかったことにはひどく悔しさを覚える次第である。これの大きな欠点として、意図していなかったとはいえ、学友会がHP上に記載している活動実績の欄に掲載されないことが挙げられる。会公式の活動であることの証明はもちろん、元々事例のなかったサークルによる茗荷谷キャンパスの貸し出しを行い都心キャンパスにおけるサークル活動に踵を打ち込んだことなどがアピールできないのは若干とはいえ痛手となる。また、現在企画中の第1回全国史学系サークル研究発表大会も同様に受け取られるようであれば徐々に歪みが生まれるのは明白である。
また、昨年度から続けようと画策する先の合同発表会であるが、歴史学学生サークル連盟[1](以下、歴学連)の発表会との混同によって、本会発表会の開催に否定的な機運が外部に漂い始めている。昨今、外部における史学研の立ち位置の基軸はこの発表会であり、「発表会の史学研」との認識さえ得ていたと考えている。その立場が揺らぐことは、今後何かしらの企画をこちらから持ち込んだ際にその実行能力を証明しうる支えに事欠くということとなる。所信表明演説にて運営は選択肢を守ることであると述べたが、本会の将来における可能性に影を落とすきっかけとなってしまったのであれば、その時点で今年度の運営はまさしく「失策」であったという他ない。
そのほか、本会企画の合同合宿(2月中旬、金沢にて開催予定)と歴学連のフィールドワークの趣旨が被っていることや今年度史学研が進めてきた史学系サークルにおけるハブとなる試みが歴学連の設置理由の一つであることなど、本会と連盟の動きが反相関しており本会の外部活動増加=連盟への攻撃となってしまうため、本会も連盟もともに身動きが取れない状況となってしまってもいる。この点、今年度を通し歴学連事務局長と公私共に協議を進めてきたが、未だ解決の糸口は見出せていない。さらには、連盟の中においてもわずかながら連盟の存在意義を疑う様子があり、両者共倒れとなってしまう危険も孕んでいる。私見であるが、史学研が広く緩やかな結びつきと仮定すれば連盟では狭く強固な結びつきを模索してほしいと筆者は考えている次第である。互いをよく知る間柄だからこそ為せる活動を見出すことができたならば、ただ発表会のためだけに集まるグループから脱却し真の意味で「連盟」となれるのではないだろうか。
さて、ここまでおよそ筆者の独壇場、ないしは委員長個人が交流の命綱となっているのだが、この一因にはそもそも会内部においてさほど外部を巻き込むという姿勢が見られないことが挙げられる。というのも、会内部においてさえ満足に動けていない状況の中で外部という選択肢を提示したとて、とてもではないがそちらに舵を切ることなど叶わないというのが実情であるように思う。実際、なんどか連盟において懇親会が催されてはいたものの、本会からの出席者は意図的に擁立したもの(交流を広げさせるために副委員長を派遣したなど)を除いては皆無であった。さらにいえば、ゼミの件で再度述べることとなるが、日本史をのぞいては個々人が独走しており集団としてなにか事を起こす必要性を見出せないというものもある。
とはいえ今年度においても、阪大歴史研究会とのコネクション形成という成功例は存在する。きっかけは大阪万博を主題として9月冒頭に行った大阪合宿での食事会である。本来は関西大学歴史研究部や立命館大学歴史研究会などが参加予定であったが、諸般の都合により結果的に阪大と中大の交流となった。ここで相手方と現執行部長の馬が合い関係を深めることとなるのだが、昨年度1月に生まれたサークルであるがゆえか、史学科の学生は少ないもののしっかりと歴史学に寄った団体であって、活動自体も学問という軸を感じさせるものであった。この点は年季から言えば本来我々が手本となりたかったところではあるが、この姿勢を本会に輸入できれば、数十年ぶりに再度「学問」という柱を打ち立てることができるのではないだろうか。この観点から、ぜひとも阪大とは今後も仲を深めたいところではあると、個人的感想を混ぜさせてもらう。
ここまで学外を指しての外部を見てきたが、学内における外部についても触れておきたく思う。今年度はじめの新歓においては、学内に存在する人文社会系サークルと合同の新歓説明会を主催していた。だが企画自体が4月に入ってから急遽打ち立てたものであって、事前告知をほぼせず行ったために説明会は芳しくないものとなってしまった。また白門祭では10団体ほどを率いてスタンプラリーを行ったのだが、こちらは4日間の総参加者が70名程度と、無惨であった。このスタンプラリーに関しては、一度連盟に企画を持ち込んだものの否決されたものを流用したもので、スタンプラリー用紙を紙ではなくデジタル上で完結させるという試みであった。システム開発は拙著が行ったのだが、やはり素人仕事であったのか、スタンプラリー画面の動線がわかりにくく集客につながらなかったようである。また、当日もポスターの掲示を各参加団体に依頼してはいたものの、隅や目立たないところが多く、そもそも団体内でスタンプラリーの存在が共有されていないものも多かった。システム自体はサーバーに残しているため、今後使用するのであればぜひ改編ののち活用してほしく思う。
3. 運営
昨年度9月の臨時総会以降本格導入された本会運営におけるビューロクラシー(官僚制)だが、結論から言って、この会にビューロクラシーは早かった、もしくは不要であった。
執筆時点で70名弱在籍している本会である(昨年度は30名程度)が、実際活動に参加するのは多くて30人弱、そこから運営に適した人材を探すと、その半数もいないのが実情である。このような人数規模において、3部5局の組織は明らかに過剰である。もちろん昨年度の時点でおよそ予想はされていたことであったが、規模の拡大縮小が比較的容易な組織設定であるがゆえに、会の規模拡大を願うように設定されたのがこの組織である。
とはいえ、言い換えれば30名程度が会にコンスタントに参加している以上、「運営」という仕事は必要ではある。ここで現状の会則を俯瞰するに、委員長の権限はほぼなく、代表委員会ならびに運営部局による議会主義的な合議体による運営体制が想定されていることが窺える。一方で、今年度はこの合議体の機能不足が足を引っ張ったとも言える状況であった。というのも、会則による立憲主義的な委員長の権力抑止を原因とする会の即時的行動力低下を補うのが本来代表委員会に求められていた少数精鋭の即決性だった。だが、今年度は昨年度の反省から意図的に頻度を減らしていたとはいえ、予算について喫緊の課題がある際に財務部長が欠席したり、合宿について報告が欲しい時に執行部長が不在だったりと毎度毎度必要な人間が集まらず(予定が全員合致する日を設けるのは至難の業)かえって活動遅延・未実施の原因となっていた。この点、反省としては確かに委員長の暴走を防ぐ事を第一に定めた会則ではあるものの、ある程度の専制(開発独裁)の容認・実行も行わなければ会は動けず埋まってしまうということである。この塩梅は非常に危険を孕んでおりこれが恒常化すれば会則の意味もなくなってしまうのだが、やはり現実を眺めるに、最悪の一手として保持すること自体を否定はできないように思える。
また今年度秋頃より、運営部局員への仕事伝達等の手間や誤解を減らすため代表委員会会議を拡大し運営部局員も会議に招いていた(あくまで代表委員会会議のため運営部局員に議決権はなし)が、効果があったかは微妙である。確かにブレインの増加という意味では会議の質の向上に一役かった側面があるが、直接の狙いは各部局の独立性を高めることであって、筆者の理想としては代表委員会議をあくまで各運営部局の情報共有と最終決定の場(総会の最高意思決定機関の側面を崩すものではない)とすることであった。この点ではむしろ真逆の形で現れており、代表委員会が運営部局会議に単純な規模拡大しただけに留まり共通理解の形成を難航させ、結果的に会活動の方針にブレを生じさせる一因となってしまった。実際、白門祭では会議のたび毎回のように1から10まで決定事項を復唱したうえで本題に進むというような状況であって、大変な時間のロスを生んでいた。
加えて懸念としては、秋季定例総会にて運営部局に特権があるような誤解が広まっていることが見受けられた点である。原因のひとつには、普段から活動に参加する会員=運営部局員という構図ができてしまっていたことが挙げられる。だが、会則を見ている限りでは特権など微塵も存在せず、かえって制限の方が多いとも受け取れるものである。これもまた、人数不足の中でビューロクラシーを執る弊害である。
さらに、所信表明演説はもちろん、昨年度から筆者が述べ続けていた「運営は選択肢を守るもの」という点でも亀裂が走った。今年度、特に白門祭では選択肢を守る動きを運営としてできず、かえって選択肢を狭めた上で会員に選ばせる構図となってしまった。会員の能動性欠如は昨年度より叫ばれている問題ではあるものの、運営側としても意見の汲み上げ不足を感じるところがあり、こと白門祭においては実行委員会からの通達で例年に比べ数ヶ月早い6月ごろの企画提出が求められていたことが原因としては挙げられる。全体として協議する機会を欠いたのはもちろん、1年生に関してはまずもって大学を知らない状況で意見を求められるという状況となってしまい、他人事のようではあるが同情しかない。とはいえそれを汲んだ上で企画を立てるのが運営の仕事でもあって、完全な他責で終わらせることはできない。
さて、このように様々な問題があったとはいえ、仕事自体はよくこなしてくれていたように思う。私事ながら夏期の体調不良で指揮が取れなくなった際には摂政のような形で委員長権限を副委員長に預けていたが、結果的には良い前例となったかのように思える。ちょうどこの直前、委員長が不在の場合の権限継承順位について[2]私見をまとめていたのだが、これが大いに役立った。とはいえ、所信表明演説の通り「犠牲」にしない運営となるよう個人的に動いてはいたものの、適切な機会提供をできたかは強く疑念が残る。当然活動規模拡大に伴い仕事が増加し運営部局の負担が増すことはあらかじめ想定していたが、新歓や白門祭ではその振り分けが後手に回る機会が多く、急な負担となってしまっていたと反省している。また、会の仕事実行によるリターンとしての経験を具体的に提示できず「理由なくやらされる仕事」「駒」と見なされる状況となっていたことも申し訳なく思う。一方で、副委員長や執行部長をはじめ、コンスタントに業務に携わってくれた面々は明らかな成長が見えており、会の仕事実行による成長自体は間違っていなかったようで安心してもいる。この点、確かに運営は「はずれくじ」と思われがちだが、仕事(特に事務業務)への慣れと人を動かす経験は社会生活において少なくとも不要ではないスキルとなって還元されるように思っている次第である。
4. 具体的活動
ここからは理念から一旦距離を置き、具体的な活動について見ていきたい。
1. 新歓
これまでで述べたように、今年度の新歓は人を集めることに終始し過ぎていた。結局のところ、この誤りが今年度全体の活動の足を引っ張るものとなってしまったというのが筆者の見立てである。
まず新歓以前の段階において、この会はどういう会なのか、どう活動していくかを具体的に既存の会員に浸透させることができなかった。当然年間活動計画等は提示していたが、あくまで書面に留まり具体的に説明する機会は設けることができなかった。特に代表委員会においてすらこれが統一されていなかったのは大きな失態であった。というのも新歓ブースでの説明の際、人によって内容に大きな差が生まれていたことが新歓後様々な場面を通して見えてきた。つまり、ある人の言葉に惹かれ入会したはいいものの、実際はそれらが全く行われない、といった詐欺状態を意図せず作ってしまったこととなる。ここから後の葦の寄稿義務化事件に発展していったりと、会の活動を大きく揺るがすものへの火種を撒き散らすこととなってしまった。
また新歓当日の様子にも問題があり、確かに人を集めることに集中していたものの、友人の付き添いで来ただけの人も半ば強引に入会させられたなどといったケースがいくつか訴えられている。これは見せかけの人数と本来の「人数」の差を新歓前にイメージさせることができなかった結果であり、委員長としての統率不足であって深くお詫びしたい。
このように、今年度の新歓は「人数」のみに焦点をあてその質はほぼ拘っていなかった。だが、例えば総会成立要件は現状会員の過半数であるがその母数だけが増え総会参加者が相対的に少なくなればどうなるかは想像に難くない。活動による魅了ではなく人数による魅了に意味はなく、これ以降の活動に大きく陰を落とす直接の原因となったのは言うまでもない。
2. ゼミ
旧来のゼミは数名程度の少人数で構成されたグループであり、その中で葦に寄稿する文章の中間発表などを行なっていた。だがこれ自体機能不全に陥っており、昨年度このゼミを廃止している。だが分野ごとのグループという点ではある程度の価値が見出せるのも事実であったため、今年度は旧来のゼミとは別の体制で「ゼミ」を復活させるに至った。具体的には日本史、東洋史、西洋史、文化史(Cultural Studies)の4分野で大きくゼミを形成し交流を図るというものである。これにより各分野においてより専門的な交流ができるだろうと期待していたのだが、結果意味を成さなかった。
まず日本史ゼミ以外は実質活動が不可能であった。というのも、そもそも各分野において個人が独走しているために集団で何かしらを行う必要がなく、読書会などは企画自体は出されたものの当該図書に関連する知識の差が顕著に現れ読書会が成立しないなど集まること自体に意味がない状態であった。
また日本史ゼミに関しては現状大きく改善が見られるものの、夏頃まではゼミ長の佐方による「佐方ゼミ」と呼んで差し支えないような個人崇拝の様相を呈しており、軽く前章までで触れていたようにゼミによる会の「乗っ取り」のようにも思える活動規模であった。これ自体は一長一短であり、必ずしも佐方のやり方を批判できないが、一歩が大き過ぎたのも事実であって、日本史以外の活動が雰囲気として制限を受けていると感じさせられるものでもあった。
そもそも今年度新しく作った「ゼミ」ではあるが、現状本会の大部分は2年生以下であって、学部においてもゼミを経験していない人間ばかりである。ゼミとは何かを理解していないものがゼミを呼称し活動しているという現状では、ゼミ制度自体やはり無理があるのかとも思えなくはない。
さて、所信表明演説を思い返してほしいのだが、今年度の活動は縦軸と横軸の格子体制であった。だがその縦軸であるゼミがこのように崩壊したことを受け、当初の学術によった会運営は当然破綻していった。具体的には当初予定していた文書発表(葦)は提出状況を見るに芳しくなく、口頭発表は中止(合同発表会は開催予定だが、本会からは2名のみ)である。この点でも、選択肢を守る運営という言葉とはかけ離れているのが理解されよう。
3. 外部活用・交流
前章で触れたように、そもそも外部に関しては実行に移せず、会内においてもその意味を見出せないでいた。私見だが、根本の原因の一つとしてはやはり会の性質の差があるように思える。というのも、他のサークルは比較的「非専門」による集まりで寺社巡りや博物館見学などを活動の主軸としていることが多い。一方で本会は「専門」による集まりであり、巡検等も行いはするが、基本は学問的活動が多い。また同様の「専門」集団であっても、史観の差により協働が困難な場合が多い。このような性質・知識の差がある中で無理に外部交流を進めることは会にとって意味があるのか、それを推進している立場ながら疑念が残る。
とはいえ、運営レベルとなるとまた話は一変する。例えば2月中旬に予定している合同合宿など、企画の可能性を広げることにつながるほか、本会が抱える古文書等の共同調査なども可能であり、企画立案の観点からはまだ可能性を秘めているように思える。また運営という立場同士で話すことによる会内問題解決の糸口の発見なども期待でき、鎖国のように引きこもるよりかは交流を持っていた方が会にとっても色々と都合がいい。
とはいいつつ、史学研全体として、外部ネットワークを必要としていないように思えるのは疑いようのない事実である。もちろん内部としてはある程度のネットワークの必要性を認めてはいるものの、おそらくは外部と繋がることによる可能性の拡大を感じ取れていないために必要性を感じていないのではと筆者は考える次第である。また、そもそも会内部すら見通せていない中で外部を組み込んでも、かえって会員が迷うだけであるという見方もあり、慎重な姿勢で挑む必要があるようである。
4. 葦の寄稿義務化
さて、ところどころ触れてきた「葦の寄稿義務化」であるが、今年度はじめ、特に新歓時期には強制しないと説明していた。だが筆者自身の学術寄りの姿勢や日本史ゼミの台頭などを受け、努力目標が目標に、そして強制へとすり替わっていったというのが事の次第である。
直接の発端は秋に後期の活動予定を発表した際、葦への寄稿に関して、原則勢員に求めるという文書を出したことであった。これ自体は事前に代表委員会を経て決定していたことではあったのだが、ここでの「原則」に歪みがあったのがこの事件の根本にある問題であった。というのも、代表委員会側の意図としてはこの「原則」の拘束はかなり弱く、例えば他のサークル等で発表がある場合などは当然拒否できるものであって、また寄稿文自体も本科でのレポートの書き直しや発展でも構わず分野も歴史学に絞らないとしていた。だが字面のみを眺めればその「原則」はかなり強い言葉である事実は変わらず、誤解を与えても致し方なく思う。
結果として、秋季定例総会にて釈明ののち寄稿は義務ではない旨を説明したものの、数年前までの様子と同様に機関誌寄稿を負担とした退会に繋がってしまった。
5. その他活動
会をハブ化するという目標のもと、上記以外にも細かな活動が行われていたため、それらを紹介したく思う。
まず、昨年度委員長の紅茶好きに端を欲するお茶会であるが、今年度は主催者不在により数回程度の開催にとどまってしまった。とはいえ、新歓時期には「桜を見る会」と称した昼食会を多摩キャンパスの桜広場で行ったが、これは大きく盛り上がることとなった。この時点ではまだ入会していないものもいたが、個人的に今年度で最も成功した活動と言って差し支えない出来であった。やはり分野ごとにある程度分かれてはいたものの、それぞれが緩やかに話しつつ社交する様子はまさに筆者が理想としていたものであり、完成形でもあった。場所の確保を除けばそう難しいことでもないため、ぜひ新歓期間以外でも実施を検討してほしいものである。
また、微力ながら史学研内でIT革命を起こそうと動いてもいた。具体的には史学研独自の統合認証の作成や会員アプリの整備、図書の電子リスト化などが挙げられるが、これらは拙著単体での開発であったためかなりの時間を要し、本来秋季定例総会で発表する予定だったものが年度末総会までずれ込むという様となった。とはいえなんとか今年度内に地盤は整備できたため、来年度以降はそこに機能を加えていきIT化を目指していきたいと考えている。具体的には古文書調査時の劣化を防ぐために画像データ化することや図書貸出記録の電子化などを想定している。また遠い話ではあるが、連盟等他大学との図書情報共有や相互貸出なども視野に入れ開発を進めているところである。
また、今年度後期より全体での活動の中心に「座談会」を据えた。これまでは『葦』が完全な中心であったが、半ば文芸部の様相を呈しておりいくつか批判も上がっていた。また完全な個人プレイであるがために会として集まる理由を欠き、活動低迷の一端ともなっていた。この点、座談会はテーマ設定によっては分野を超えた知識交流の場になり、それぞれの歴史学に対する知識量が異なっていたとしても、異なる分野からの知見として意見を発することができ、結果として活動に参加しているという成功体験を与えることができる。また、ここから発展したテーマをゼミ等で活用したり葦寄稿文に仕上げたりと他の活動とのつながりも生むことができ、多くの活動における「導入」の役割を期待できる。実際、今年度はテスト段階であり昼休みでの開催が多かったが、それなりに人が集まっていたようである。一方で主催者側のテーマ設定への負担はある程度あるようで、場合によっては政治・思想等の危ない橋を渡る危険性も孕んでいるため、ある程度危機管理のできる人間でなければ開催が難しいのが難点である。
このほか、年度当初は12月ごろ会内限定の研究発表会の開催を予定していた。この場での口頭発表を今年度の探求活動の締めとして設定し各々励んでもらうことを想定していたのだが、前項の葦の義務化の煽りを受け会としての研究活動自体が難航し、結果的に希望者もほぼ集まらず断念することとなった。これにより、年度当初予定していた文書発表(葦)以外での研究発表の道を断つこととなったのは断腸の思いである。
5. 全体総括と反省
以上が今年度の大まかな様子である。個々で事情等は勘案すべきであるが、全体的には運営の意志がまとまっていないことが混乱を生んだ最大の原因であったと考える。これはやはり、代表委員会の不開催により意向をまとめる場を生み出せなかったことに大きな原因があるだろう。とはいえ、Lineグループを用いつつ、会議に代わる意思決定を試みていたのも事実ではあるが、会話の段階でメッセージが流れてしまい、意図を正確に理解しないまま決定まで進んでしまうことが散見されたことを鑑みるに、会議の下位互換でしかなかったようである。
また、自他ともに個々の能力への過信が足を引っ張った。特に運営部局においては「説明しなくてもわかる」「聞かなくてもわかる」といった過信からミスが生じていた。またこれにより本来意図していた指揮が通らず、結果として半ば制御不能のようになってしまったのが前期における日本史ゼミを代表とする例である。
また会則を重視するあまり筆者が強権に踏み込めず、かえって混乱を生んだのもまた事実である。確かに強権はそう易々と持ち出すべきものではないものの、特に小さい組織においては誰が動かしているのか、誰に従えばいいのかという観点が統率をとる上では重要であって、それを見失わせるのがこの権力の放棄であった。
加えて、春の時期に委員長の顔を売れなかったというのも地味ながら痛手であった。本来、一番に顔を覚えられるのが委員長やトップという立場であり、だからこそ名前や立場に実行力が付されるわけであるが、今年度はそれを欠いてしまったために委員長という立場に十分な力が宿らず、結果的に、統治能力不足となっていたと顧みている。また同時にこれは会が何をやっているかわからないという不信感にも繋がるものであり、会から目を背けさせる遠因にすらなっていたように思える。
6. おわりに「会である意味」
人が集団を形成する第一の理由は、労働組合や企業一般のようにそのほうが強いからである。だが筆者が預かった代においてこの会は、集まることで強くなる要素がほぼなかった。つまり、会として集団を形成する意味を欠いていた。これが、人数だけ集めてもまとまりが生まれない根本的原因であると結論づけたい。今思えば、外部を「利用」するという点では外部に仮想敵を設定し、それに向けて団結する集団に仕立てればまだうまくいったのかもしれない。だが、これもまたその場しのぎに留まり恒常的な解決策となり得ない。
運営において度々原因としてきた自主性の欠如を直接批判し降参するのは簡単だが、そもそもこちらを向いていない人間に無意味にアプローチを続け、こちらを向いているものは半ば放置だったとも今年度を振り返ることができる。釣った魚に餌をやらないという言葉があるが、その結果釣った魚自体も腐ってしまった。魚を釣ることを目的とし本来の目的を見失ったのがこれまでの様子であり、最も恥ずべき姿である。
昨年度末総会にて、自分についてきてほしいと言い放った記憶がある。だが今年度に入り、そのついていく先を消失させてしまったのが今年度最大の失敗であった。昨年度初め、昨年度委員長に筆者は「上に立つとはどういうことか」と尋ねていたが、今年度は自らがそれを問われ続ける立場となった。今でこそ「先が見えなくとも見えるふりをする」などと小洒落た回答ができるのかとも思うが、存外「上に立っている」という立場を弱めることが、この質問を筆者が投げかけた面々のように上に立つ資質を持つということなのかもしれない。
これから先も、この会は十中八九この「会である意味」を問われ続けることとなるだろう。あくまで今年度の総括は反面教師でも訓戒でもなく、ただの事実の記述であることに留意したい。答えは苦労しなければ手に入らないものである。
この会を70年守ってきた諸先達に敬意と感謝を表し、また71年目をなんとか守り通したことを誇り、加えて同じ試練に挑む後進を鼓舞し、筆を譲りたく思う。
2025年度委員長、
2024年度学友会委員兼委員長補佐、執行部長; 副委員長兼財務部長(会計委員)
史がない女王陛下
[1] 昨年度2月に本会が主催した関東史学系サークル研究発表大会において試験的に集めたメンバーの中から希望団体を募り立ち上げた学生サークル連盟。Inter-university Alliance of History Clubs。原加盟団体には本会のほか慶應義塾大学考古学研究会、都留文科大学メソポタミアサークル、明治大学世界王朝史研究会があり、執筆時点ではこれらに國學院大学日本近現代史料研究会、阪大歴史研究会、法政大学歴史研究会が加盟している。
[2] 委員長不在時には以下の順序で権限が委譲され、上位の人間が職務実行可能となった場合は自動的にそのものへ権限が渡される、というものである。順位はそれぞれ先に入会したものを上位として「委員長、学友会委員を兼ねる副委員長、学友会委員を兼ねない副委員長のうち先に入会したもの、執行部長、財務部長、広報部長、代表委員のうち先に入会したもの、執行部員、執行部外交局員、執行部事務局員、執行部企画局員、財務部員、広報部員、広報部情報システム局員、広報部編集部員、会員においてその場で指揮を取り得るもの」という順である。
以上、お読みいただきありがとうございました。
これより先も何らかの形で会に関わってはゆきますので、折に触れ変わらずご指導ご鞭撻いただけますようお願い申し上げます。
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