カテゴリー: 草紙

  • ドイツの魅力を話そう

    ドイツの魅力を話そう

     お久しぶりです。暑さも和らぎ、過ごしやすい季節になりました。何か月ぶりの更新だよって感じですが、お許しください。佐々木信綱です。こんなに更新が遅くなったのには理由がありまして(言い訳)、実はこの夏ドイツへ行ってました。それの準備やらで色々と忙しく、更新が出来なかったというわけなのです。しかし、そうは言っても、自分は一端の史学研究会に所属する学生です。たとえ、専門が日本史であったとしても、海外へ行くとならば、現地の歴史的遺産や博物館・城へ行かずにはいられません。というわけで、今回は少し趣向を変えて、歴史好きがドイツへ旅行へ行くとしたらどうなるか、行く上での注意点を書き記していきたいと思います。
     さて、早速脱線しますが、ヨーロッパではかなりキャッシュレス化が進んでいます。新幹線のチケットなども、後述するアプリから簡単に買うことができます。だからこそ、ヨーロッパへ旅行へ行くなら絶対にクレジットカードは用意しましょう。個人的にはvisaがおすすめ。JCBは使えるところが少ないので、やめた方がいいです。そして、クレジットカードが届いたからと言って、そこで満足してはいけません。必ず日本にいる間に、クレジットカードの利用枠は引き上げておきましょう。海外だと日本の携帯電話番号が使えません。上限の引き上げの際に、日本の携帯電話番号を用いる場合があるからです。自分は海外に着いてから申請しようとしたところ、申請できず、大変な目に遭いました。
     もし、なるべく大きな現金を持ち歩きたくないなら、デビットカードがおすすめ。クレジットカードよりも海外手数料が安いカードを用意し、日本にいる間にチャージしておくといいです。自分の周りだとwiseのデジタルカードを使ってる人が多かった気がします。
     ここからはドイツで旅行するときに役立つ(?)情報を載せていきます。まず、ドイチュラントチケット(以下、Dチケットと呼称)は買った方がいいと思います。Dチケットは月額63€(大体1万千円)で路線バス、路面電車、地下鉄(Uバーン)、Sバーン、快速・普通列車(RE、RB)が乗り放題になるというチケットです。ただし特急や高速列車のICE、IC、ECは対象外です。これ何故買った方が良いかというと、都市中心部から離れた城へ行くときに、かなり重宝するからです。例えば、ノイシュバンシュタイン城へミュンヘンから行くには、まずフュッセンという町へ行かなくてはなりません。どんなに安い行き方を選んでも、往復で7000円近くかかります。当然、ノイシュバンシュタイン城にしか行かないわけではありませんでしょうから、移動費はもっと高くなります。そうなると、一々切符を買うよりも、定額乗り放題の方がお得になるわけです。もちろん、一つの都市からあまり動かない場合は買わなくてもいいと思いますが、もし郊外へ行く予定があるなら、買っておいて損はありません。
     次に、入れておくと良いアプリを紹介します。DBnavigatorです。

     このアプリはDB(ドイツ国鉄)の公式アプリで、英語版とドイツ語版があります。日本語版がないのが玉に瑕ですが、使い勝手がとてもいい。日本の乗り換え案内アプリとほぼ同じなのですが、このアプリの優れてるところは、検索オプションが充実している点にあります。何より、Dチケットの効力がある交通機関だけに絞って検索することができるのがいいポイントです。

    ドイツらしい無骨なUI。上のオプション部分で結構条件を指定できます。

     そして、実際の移動に入ると、何番ホームから電車が出るのか、何番ホームに到着予定なのかまで示してくれます。また、リアルタイムで遅延や代替交通手段も提案してくれるので、入れておくと良いです。

    遅延もリアルタイムで表示してくれるのがいいところ。最後にこっち安全を祈るメッセージが出るのも粋。

     一つ欠点を上げるとすれば、地図の精度が低いこと。ドイツだと電車の代わりに代替交通手段のバスが出ることがよくあります。その際、バス停をDBアプリの地図を頼りに探しに行くと、結構離れたところに飛ばされます。特に、大きな駅だとバス停がいくつもあるので、間違えると旅程が狂いかねません。バスを使用する際は、バス停の表示を確認し、運転手さんに確認しましょう。皆さん優しいので、親切に教えてくれるはずです。
     一応もう一つ紹介しておきます。omioというアプリなのですが、こちらには日本語版も存在します。

    こんな感じ。バスと電車を比較してくれます。

     UIがDBナビよりも洗練されています。何より直感的でわかりやすい。それに、複数の交通機関を横断して検索・比較ができるというのがDBナビとの違いです。しかし、大きな欠点があり、それは手数料が取られるということ。自分はICEのチケットをomioで買ったのですが、大体1000円近く手数料が取られました。DBナビからでもICEのチケットは買えます。今振り返ってみると、ドイツ国内の移動だけなら、DBナビで直接買った方が安かったと思います。もし、陸路で第三国(チェコとかオーストリア)へいくなら、omioは良い選択肢になりえると思います。
     続いて、水は飲めるのかどうかや治安について触れていきます。結論から言えば、水道水は飲めますし、治安は地域によるとしか言えません。ドイツの水は硬水なので、おなかを壊す人はいるかもしれませんが、絶対に飲めないわけではありません。毎日水道水をペットボトルに入れて持ち歩いていましたが、体調に影響はありませんでした。ペットボトルや瓶はデポジット制みたいな感じで、スーパーにおいてある機械に空のペットボトルを入れると、レシートみたいなのが出てきて、それを持っていくと、50円分くらい返ってきます。旅の終わりに交換すると良いです。治安は良い方だと思います。もちろん、大きな駅の近くなどはよくないことが往々にしてありますが、幸いなことにスリやひったくりには遭いませんでした。もちろん、用心するに越したことはありません。
     ここからはドイツの史跡をメインに話していきたいと思います。まず大前提として、多くのドイツの都市にはalt stadtと呼ばれる旧市街地が多く残されています。石畳の上にオレンジ色の屋根の建物がいっぱいあり、古い教会と広場がある多くの人が想像する”ドイツ”があります。

    ハイデルベルクのアルトシュタット。少し駅から離れれば、現代的な街並みが広がっています。

     欧州になじみのない日本人からすると、旧市街地を見て回るだけでも楽しいです。こんな具合で、城や教会も日本と比べ物にならないほど多くあるので、時間がいくらあっても足りないくらいです。自分が見て回った城・教会を中心に紹介したいと思います。

     一つ目はリヒテンシュタイン城です。断崖絶壁に聳えるこの城は、まるで絵本の中から飛び出てきたような装いです(何か崖のすぐそばの城ってロマンありません?)。現在の城は1903年に完成したものになります。山頂にあるため、城へ行くためには山を登らなくてはいけません。リヒテンシュタイン城近くまで行くバスが二種類ありまして。これは多分自分の行き方が悪かったせいなのですが、7606系列のバスで行くと、城から見て南東側のバス停からかなり急な山道を3~40分歩く羽目になります。

     城への道は舗装されておらず、木々と下草が少ない方を歩いていくみたいな感じです。しかも夏場だったので、とんでもなく暑い。滝のように汗が出る。ドイツの気候が涼しいといっても、体に堪えます。一応城の目の前まで舗装された道があり、すぐ近くに7635系列のバスもありますので、歩くのが大変な方はそっちのバスを使った方が良いと思いますが、この7635系列は時期によっては走ってないらしいので、十分に確認したうえで、行くようにしてください。また、城の中へ入れる季節も限られていますので、事前にチェックしてから行きましょう。色々長くなりましたが、炎天下の中歩いて向かうだけの価値は十分にあると思います。戦争によって受けた被害もそのまま残しているのがとても良い。後述する城と比べて小さめではありますが、有り余る魅力を持つ城です。

    内部が撮影禁止なのが残念なことこの上ないです。

     次に紹介する城はノイシュバンシュタイン城です。ドイツと言ったらみたいな感じありますよね。某幕張の遊園地にある城のモデルにもなりました。バイエルン州のかなり南側、オーストリアとの国境部すぐ近くにあります。バイエルン国王ルートヴィヒ二世によって建てられたこの城はまさに西洋を象徴する城だと言っても過言ではないでしょう。なお、この城は中世に建てられた訳ではなく、19世紀に当時最新の技術を用いて建てられました。ノイシュバンシュタイン城について書き始めるとこの記事の長さがえらいことになるので、この辺に留めておきます。城の中はまさに豪華絢爛という言葉がピッタリです。ワーグナーに影響を受け設計された部屋は見ごたえ抜群でした。しかし、城の大きさの割に見て回れる部屋の数はあまり多くないのが欠点です。さて、肝心な行き方についてですが、割と大変です。一番近くの鉄道駅がフュッセン駅なのですが、大体1時間に一本しか電車が来ません。ミュンヘンからrb68に乗れば一本で行けるので、事前に時間を確認して向かうことをお勧めします。また、フュッセンに着いたからと言って安心してはいけません。フュッセンからノイシュバンシュタイン城のある麓の集落までバスで向かう必要があります。ノイシュバンシュタイン城は事前予約制で、時間に遅れると入ることができません。そのため、電車とバスの時間から逆算してチケットを買うようにしましょう。ちなみに、麓の集落から城までそれなりに遠いので気を付けてください。

    麓から城まで馬車で行くこともできます。5ユーロで現金のみです。なおかぼちゃの馬車ではない模様。

     少し脱線しますが、このフュッセンの周辺にはバイエルン王博物館やホーエンシュヴァンガウ城など、多くの観光地があります。バイエルン王博物館は日本語の音声解説もあるので、歴史好きの皆様には是非お勧めしたいスポットです。

    とにかく騎士を前面に押し出してるタイプの城

     次に紹介する城はメーアスブルグ城です。実は同じ名前の城が二つありまして、自分が行ったのは古い方だけです。新しい方は18世紀に建てられたそうです。二つの城は近い距離にあるので時間が許すのなら、両方とも行くのがいいです。古い方はまさに中世の頃の面影を残しています。中は博物館のようになっており、中世の城の構造や騎士たちの普段の生活を垣間見ることができます。

     武器や甲冑が多く飾られており、とても見ごたえがあります。中世騎士に興味がある方は絶対に行って損はないです。また、この城の近くにはツェッペリン飛行船の博物館もあり、そちらもお勧め。

     日本にツェッペリン飛行船が寄港したときのはがきなども展示されていました。ドイツにしては珍しく日本語のパンフレットもあるので、比較的入りやすいと思います。

     最後に紹介するのはハイデルベルク城です。この城は先に紹介した城とは大きく異なっています。あれらは再建されたりしたものの、全て建物としての原型をとどめていました。しかし、この城は多くのが破壊され廃墟になっているのです。

    廃墟のハイデルベルク、廃デルベルク

     ここからハイデルベルク城の歴史を書くと、あまりにも長くなってしまいますので、割愛させていただきますが、まさに歴史の生き証人というにふさわしい城です。これは個人的な感想ですが、今までの資料館的な城というよりは、公園やテーマパークという方がふさわしいです。一応世界最大級の巨大なワイン樽や薬事博物館など見どころも多いですが、城本体よりは周りの市街地や橋、大学の方が見ごたえがあると言えるでしょう。最寄りの路面電車の駅から少し坂を登るので覚悟した方がいいかも。城下に広がる旧市街地は歩くだけで楽しいので、あえて徒歩で行くのもいいと思います。
     さて、続いては教会・宮殿を紹介したいと思います。なにせ数が多いので、紹介がかなり適当ですが、ご容赦ください。

    この距離から撮っても、建物全体が画面内に収まりきりません。向かって右側の建物は自然博物館になっています。

     最初に紹介するのはミュンヘンにあるニンフェンブルク城です。ドイツ語のSchlossは基本城と訳されますが、貴族が豪華に過ごすための宮殿・邸宅といった意味も含まれます。軍事要塞としての城はBurgです。ニンフェンブルク城Schloss Nymphenburgですので、城と付いていますが、宮殿という方が正しい気がします(それを言い出すとノイシュバンシュタイン城も宮殿になってしまうのですが)。自分自身はそこまで西洋の建築様式について詳しくはないのですが、左右対称のロココ様式とバロック様式に巨大な窓、豪華なフレスコ画が描かれた大広間などバイエルン選帝侯の権勢を誇示するための作りをしています。

     豪華絢爛という言葉を体現しているようです。これでもまだ夏の離宮(避暑地)であったというのですから驚きです。実際に行ってみるとその大きさに圧倒されます。とにかく庭園が広い。

    池の向こう側に小さく見える門が入口です。

     城の敷地に入ってから10分くらい歩いてようやく建物に辿り着くくらい距離があります。ミュンヘン中央駅から路面電車で行くのがおすすめです。
     続いて紹介する教会もミュンヘンにあります。ミュンヘンのシンボルと言っても過言ではないフラウエン教会です。

    塔は100m近い高さがあります。

     日本語に訳すとしたら聖母教会でしょうか。特徴的な丸いドームが付いた塔が二本あります。実は二つの塔で高さが違うんだとか。一応この塔の中は登れるようになっているのですが、かなり待たなくてはいけません。自分は観光に割ける時間がなかったので、登ることができませんでした。内部は意外と質素。大きさの割に派手さはない印象です。また、フラウエン教会には悪魔の足跡と呼ばれる跡があります。

    少し悪魔の足跡からずれてるけど、こんな感じ。後ろのステンドグラスは悪魔が来たときありませんでした。

     なんとそこに立って見ると窓が一つも見えなくなります。窓が全て綺麗に支柱に隠れてしまうからです。

    遺体自体は地下に安置されてるんだとか。

     内部にはヴィッテルスバッハ家出身の最初の神聖ローマ皇帝であるルートヴィヒ四世の記念廟もあります。ミュンヘン中央駅のすぐ近くでアクセス抜群ですので、ミュンヘンへ行くなら、是非とも訪れたいスポットです。

     次に紹介するのはミュンヘン・レジデンツです。旧バイエルン王国ヴィッテルスバッハ王家の王宮になります。ドイツで一番見ごたえがある宮殿かもしれないです。まず圧倒的に大きい。中が博物館になっているのですが、全て回りきるには時間がいくらあっても足りません。建物自体も美しいのですが、博物館の収蔵品も素晴らしい。特に驚いたのは日本の焼き物が展示されていることです。ここまで来て日本の陶磁器を見るとは思ってもいませんでした。黄金に輝く王家の剣や王冠はそうそうお目にかかれるものではありません。

    こんな感じの展示品がいくつもあります。

     ダイヤモンドや金銀をふんだんに使った華やかな展示品を是非ともご覧ください。ミュンヘン中央駅から歩いて20分くらいの所にあります。地下鉄でも行けますので、お好きな方をお選びください。少しチケット売り場が分かりにくいところにあるので、確認しておくとよいでしょう。また、手荷物を全て預けないといけないので貴重品、特にスマホは手に持っておくと良いです。写真が撮れないとせっかくの旅行の思い出が残せないですしね。

     近くにミュンヘン新市庁舎もあります。こちらも有名な観光地です。
     次に紹介するのは最初のaltstadtの写真にも写っていたハイデルベルクの聖霊教会です。

     1398年から1515年にかけて約100年以上を費やして建設されたゴシック様式の教会です。ドイツの教会の多くは白い石で作られている気がするのですが、この教会は赤砂岩でできています。こちらの教会も塔に登れるようになっているのですが、時間がなくて登れませんでした。また、この教会かなり珍しい歴史を持っています。というのも、かつて宗教改革の時期にカトリックとプロテスタントの間で帰属が変わり、一時は双方の宗派が同時に礼拝を行えるように、教会内部を200年近く、壁で二つに仕切りしていたのです。内部を見てもそんな歴史があったとはとても思えません。歴史を知ってるのと知らないのとでは大きく印象が変わってきます。教会周辺には土産屋などが常に並んでおり、とても賑わっています。ハイデルベルクのランドマークへ是非行ってみてはいかがでしょう。

     最後に紹介するのはコンスタンツのにある聖母マリア聖堂です。ボーデン湖周辺には”聖母マリア聖堂”が多くあります。その中でも自分が行ったコンスタンツの教会はコンスタンツ公会議(1414〜1418年)の会場にもなりました。ロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しい建築です。塔も登ることができ、頂上からはコンスタンツの旧市街とボーデン湖が見渡せます。

     塔に登るにはお金を払わないといけないので、ご注意ください。
     いかがでしたでしょうか。かなり適当な紹介になってしまいました。本当はもっと色々と書きたいことがあったのですが、締め切りと分量の都合でここまでしか書けませんでした。本当にすいません。私は西洋史に詳しくありませんが、今回ドイツへ行くにあたって、ある程度の歴史や建物の成り立ちを調べて臨みました。その上で確信したことがあります。それは歴史上の言葉だけを覚えても意味がないということです。例えば、コンスタンツ公会議という言葉を知っても、それの歴史的意義や背景を知らなくては面白さは半減してしまいます。そうそう海外、特にヨーロッパへ行く機会はないですから、折角行くなら事前の予習はしっかりとしたうえで臨みたいと思いました。最後に、全ての建物言えることですが、修復工事などを行っているため、見に行っても美しい建築が見えない可能性があります。事前確認は怠らないようにしましょう。もしこの記事に辿り着いたドイツへ行くことを考えている人のお力に成れたのならば、幸いです。そして、本当に更新が遅くなってしまい申し訳ありませんでした…。夏合宿の記事も近いうちに投稿したいと思っておりますので、これからも史学研究会をよろしくお願いします。それではまた次の記事でお会いしましょう。

  • 中世史分科会活動記録~鎌倉編~

    中世史分科会活動記録~鎌倉編~

     この記事は史学研究会の中世史分科会の活動で遠征を行ったものの記録になります。自分は中世史分科会に入っていないのですが、史学研が普段どのような活動をしているか読者の皆様にお伝えするべく、遠征に参加した部員に記事を書いてもらいました。普段はです・ます調ですが、今回は原文を尊重してだ・である調でお送りします。

     2月25日、中世史分科会の有志4名で鎌倉・江ノ島を訪問した。
    3ヶ月以上経過してしまったが、今回は折角なのでそのアフターレポートを簡単に綴ることにした(待っててくれた広報部に感謝)。

     さて当日私たちは11時に鎌倉駅前にて集合……することに失敗した。
    途中の乗換駅で友人とたまたま合流できたため気を緩めてしまい、反対側へ向かう横須賀線の列車に誤って乗車してしまったのである。なおこれは些細な問題(?)であるので、このことに関して特段これ以上述べることはしない。

     何故か4人が集結した時点で、既に予定より1時間以上経過していたが、早速私たちは駅から若宮大路を歩き進め鶴岡八幡宮を訪問した。

     源実朝暗殺事件の際に公暁が裏に隠れていたという大銀杏の跡地を横目に階段を上り、そのまま参拝を終えた。そして私たちは横手にある宝物殿へ入場した。源氏三代将軍ゆかりのモノ以外にも、様々な時代の品が展示されていた(※撮影禁止)。鎌倉府や小田原北条氏、秀吉・家康といった、他の権力者と鶴岡八幡宮の関係性というものも興味深い。

    鶴岡八幡宮を巡り終えた頃には昼食の時間になっていたため、私たちは八幡宮を出た後若宮大路を引き返し「鎌倉お昼ごはん」という店を訪問した。

    私は美味い竜田揚げを食べることができ満足、見る限り魚介料理も魅力的だったので是非また行ってみたい。半分くらい奢ってくれた先輩に感謝を……。

    昼食後も若宮大路の南進を続けた。道中、ビルの地下に保存・展示された北条泰時邸跡を発見した。

     現在も首都圏を形成する一都市として栄える鎌倉市において、歴史遺構保存と開発の二つを両立することは非常に難しいといえるだろう。実際鎌倉市では宅地造営で失われてしまった史跡も多いと聞く(世界遺産になれないのはそのためだとか)。私としてはこの北条泰時邸の事例は好感を抱いた。後世の都市開発は多くの歴史遺構を埋没させ、それらを人々の記憶から忘却させてきた。こうして少しでも遺構を整備して継承することで、我々はこの町を歩く時にかつての鎌倉の歴史を随所で思い起こすことが出来る。

    鎌倉にはそういう町であってほしい。

    スーパーで買ったアイスを片手に若宮大路を歩き続けた私たちは由比ヶ浜に到達した。
    そのまま鎌倉大仏のある長谷まで歩いた。
    江ノ電を使わない鎌倉大仏までの移動は新鮮であった。

    鎌倉大仏は色々と謎の多い存在である。そもそもいつ作られたのかもよく分からず、大仏殿もいつどうなったのかよく分かっていない。雨晒しになりながら佇む鎌倉大仏では、50円払えば胎内に入るという不思議な体験も可能である。外の見えない大仏内では歴史ロマンを全身で感じることが出来る、素晴らしい。

    大仏を見た後は先輩の案内で近くの甘縄神明宮へと向かった。

     ここは飛鳥〜奈良時代にかけての在地豪族、染屋時忠が建立した鎌倉最古の神社という。源氏の拠点化以前の古代鎌倉の歴史である。先輩に教えてもらわなければ、私はこの場所の存在を知ることは無かっただろう。中央から遠く離れた辺境の地で、古代はどんな生活があったのだろう。今ではすっかり歴史の影に隠れ、染谷も伝説的な人物とされている。

    甘縄神明宮は古代から紡がれてきた鎌倉の雄大なパワーが身体に振り注いでくるような場所であった。

    こうして鎌倉を散策し終えた頃にはもう日没も近づいていた。
    私たちは気まぐれで江ノ島へと移動し、店や観光スポットが閉まり徐々に静寂に包まれてゆく島内を巡り歩いた。

    誰も居ない真っ暗な海岸の岩場に打ちつける波の音は、どこか心地よい気分にさせてくれた。
    夜の江ノ島の風景を初めて見て、かつてこの地が信仰の地として栄えた理由が分かったような気分になった。

     私は湘南の地元民であるため、これまで何度も鎌倉・江ノ島を探索している。しかし今回の旅では両所の知らなかった要素を沢山発見することになった。よく見知ったと思う場所でも、一緒に行くメンバーやその日の環境が違えば、新たな学びがある。江ノ島を見終え藤沢駅で同行者と解散したとき、私は満足感に包まれていた。

     いかがでしたでしょうか。一部読みやすくするために句点をつけた部分がありますが、それ以外は原文ママです。これからも、史学研の普段の活動を紹介してまいりますので、何卒よろしくお願いします。

  • 東京国立近代美術館&神保町古書市&懇親会

     こんにちは、初めまして。広報部長のテキロバクシンオーです。日々、史学研究会の良さをSNSの波に放流しています。そしてタイトル通り、執行部長の指揮のもと、東京国立近代美術館や神保町を巡った後に懇親会を行いました。読者の皆さんには没入感を味わって頂きたく、比較的自由行動をしていた私自身のログをここに書き記していきたいと思います。

     東京国立近代美術館に集合時間一刻前に到着しましたが、もう既に1年生がぽつりぽつりといました。そして、集合時間頃になると美術館の入口が溢れかえるほどの人数が集まりました。会員が20~30人しかおらずアクティブ層も希少だった2年前を知っているテキロバクシンオーにとっては感慨深いもので目頭が熱くなりました。人数の多さから統率面に若干の不安が過りましたが杞憂に終わり、各々自分の世界に入って作品を楽しんでいました。そして、中央大学文学部はキャンパスメンバーズに加盟している為、文学部生は無料で入館出来ました。キャンパスメンバーズ加盟校の学生様は活用してみて下さい。

    近代から現代までの作品が揃っており、東京国立近代美術館の所蔵作品の豊富さに心を奪われました。初代宮川香山の「鳩桜花図高浮彫花瓶」や草間彌生の作品、岡倉天心をモデルにした像、高村光太郎の「手」等の沢山の作品を鑑賞しました。テキロバクシンオーが歴史好きになった一因となった菅原道真公の像などもあり、来館出来たこの日に感謝せざるを得ませんでした。多くの作品の中で、私が最も見入った作品はオーギュスト・ロダンの「トルソー」です。〈近代彫刻の祖〉オーギュスト・ロダンがトルソーの良さを存分に表現していました。トルソーとはイタリア語で未完成のものという意味ですが、その不完全さが我々の想像力を掻き立てるのではないでしょうか。また、感情を表現する顔や手足が無いことから、ただ目の前の彫刻に集中出来るということも魅力の一つのように思えます。ロダンのトルソーの腕が無くなる位置が左右非対称であることも意図的のように思えます。上野にもロダンの作品が多くあるので、個人的に見に行こうと思いました。素晴らしい作品ばかりで一つ一つ紹介したいところですが、長文となってしまうのでここは割愛させて下さい。

     東京国立近代美術館での鑑賞を終えると、そこから徒歩で神保町の古書市に向かいました。皇居あたりの静穏さに安らぎを感じつつ、会員との会話を楽しみました。神保町に着くと、17時まで自由行動となり会員それぞれ好きな書店に赴きました。私が尊敬する師のお墨付きである東洋史の書店を訪れ、私の興味関心分野の「漢魏晋史の研究」という本を買いました。良い収穫を得られました。後に聞いた所によると、神保町で史学系の本を沢山買った会員が多かったようです。史学系サークルの特色ですよね。かなり歩いて疲労困憊であったテキロバクシンオーは会員と共に神保町のとあるカフェに訪れました。フルーティーな紅茶の風味とデザートのチーズケーキを味わうことができ、膨大なセロトニンの分泌を確認出来ました。

     都内某所で行われた懇親会では40~50人規模となり、沢山の方と交流を深められたように思います。より多くの新入生と交流するために上級生が各テーブルを動くという形にしました。また、慈悲深き委員長が買ってきてくれたビンゴカードでビンゴ大会を行いました。そしてテキロバクシンオーと執行部長がおすすめの本と文房具をビンゴの景品としてチョイスしました。大盛況のビンゴ大会中に私は会員たちと哲学(特にペシミスト)の話をしていましたが、私は運良く一列揃い、景品のクリアファイルを手に入れることが出来ました。望んだ数字を出してくれた執行部長に感謝せねばなりませんね。委員長はプレリーチだらけで景品を得ることが出来ず、揃わないビンゴカードに嘆いておりました。この懇親会で、史学系の話だけでなく各々の趣味についても深掘りできて良かったです。以上、広報部長テキロバクシンオーから「東京国立近代美術館&神保町古書市&懇親会」をお伝えしました。

  • オリテン祭開幕!!!

    オリテン祭開幕!!!

    新入生の皆さま。ご入学おめでとうございます!史学研究会も109番にブースを設けています。歴史に興味がある方もない方も、是非お立ち寄りください。

  • そうだ 高崎行こう

    そうだ 高崎行こう

     お久しぶりです・・・最後の更新は新年の挨拶でしたね。ほんの少しばかりいた読者の方も完全にいなくなってしまったのではないでしょうか。二か月ぶりですね。佐々木信綱です。本当は更新していない間に色々とイベントがあったのですが、悉く参加しておらず、嘘を伝えるわけにもいかないので、またしても寺社巡りの記録をお伝えさせていただきます。一年の最初にふさわしい記事とは到底思えませんが、何卒宜しくお願い致します。
     さて、先日自分が向かったのは高崎市。群馬県の中でも比較的東京に近い場所です。高崎駅に到着し、まず向かった場所は高崎城址。徳川家康に仕えたかの井伊直政が築城しました。完成当初は広大な城でしたが、今となっては三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残っているのみです。

    その後、この地には歩兵第15連隊が駐屯することになります。話はそれますが、明治時代初期に出された法令で廃城令があります。字面そのまま受け取れば、建物を全て破壊するような印象を受けますが、実際にはそんなことはなく、この高崎城のように、一部を破壊し、その跡地を軍の施設として使用することもあったそうです。

    時代とともに移り変わる城の性格を伺うことができます。春になれば、桜が見ごろを迎えるそうですが、自分が向かった時にはまだ一本も咲いていませんでした。
     次に向かったのは、群馬県護国神社。大体高崎駅から20分ほどのところにあります。そもそも、護国神社とは何ぞやという方もいらっしゃると思いますので、簡単に解説。一言で言ってしまえば、その地域出身の戦没者を祀るための神社です。同じような性格の靖国神社と比較すると、より地域性が強いのが特徴です。創建は昭和16年で、戦後上野神社と名前が改められましたが、昭和二十九年には護国神社にもう一度戻されています。全国に護国神社は数多くありますが、実は行ったことがなく。今回が初めての参拝でした。広い参道を抜けた先には二つ目の鳥居がありました。

    かなり開放感があります。拝殿の手前には桜の木が生えています。これももう少し時期が遅ければ、見ごろだったのでしょう。

    結構現代的な本殿だと思います。

    向かわれる際は、四月が良いと思います。
     最後に向かったのは慈眼院。護国神社から二十分ほど山を登った頂上にあります。先ほどここまで来るのに20分ほどかかったと書きましたが、その間ずっと山を登り続けなくてはなりません。相当疲れます。バスがあるので、お金に余裕がある人は絶対そちらを使った方がいいです。実はこのお寺の境内にはとても大きい観音像があるのです。

    少し離れたところから見てもこのくらい存在感があります

    市街地から見えるくらい存在感がある観音像は高さ41.8mにも達します。そんな観音像がある慈眼院ですが、建立されたのは1941年と比較的最近のことです。観音像が完成すると同時に、この山に移ってきたのです。そして、この観音像、なんと中に入れるのです。中はいくつか仏像が安置されており、のぞき窓から遠くを見通すことができました。

    像自体も高く、なおかつ山の上にあるので、本当に景色がいいです。境内には、梅(?)の花も咲いていました。

     改めまして。ここ最近本当に更新ができておらず、申し訳ありませんでした。新歓期間中はできるだけ更新していきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。ここ最近、本当に旅行記というか寺社巡りのことしか書いていませんので、今年こそは”史学”に関する投稿を多くしてまいります。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • いざ、鎌倉!!

    いざ、鎌倉!!

     気がついたらもう一年が終わろうとしていますよ…。この導入の部分もネタ切れになりつつあります。ここ最近季節の挨拶しかしてない気がする佐々木信綱です。生成aiとかにこの部分を書かせようか本気で検討しています。さて、本日の記事は鎌倉の寺社や歴史上有名な人物のお墓を巡ってみた感想と、見どころについてです。寺社巡りサークルに片足突っ込んでそうですが、歴史に関係のあることは何でも(そこまで関係ない時もあるけど)記事にして参りますので、来年もよろしくお願いします。

     まず初めに、鎌倉にはどんな有名な寺社があるのか申し上げますと、鎌倉五山・鶴岡八幡宮・明月院などが挙げられます。この内、鎌倉五山第二位の円覚寺の舎利殿は代表的な禅宗様の建物として資料集などにも載っているほどの有名な建物なのですが、この円覚寺舎利殿、普段は公開しておらず、1年で10日くらいしか見学することができないのです。自分が行った時には遠目から見ることしかできなかったのが、残念でしたが、実際に行ってみて分かることも多くありましたので、その点も交えつつご紹介したいと思います。

     朝9時10分。北鎌倉駅に到着しました。まだ空気は冷たいですが、すでに多くの人で駅周辺はごった返しています。何を隠そう、最初の目的地、円覚寺と北鎌倉駅は目と鼻の先にあるのです。国籍・老若男女問わず無数の人が今から参拝しようとしているのです。石の階段を登った先で目に飛び込んできたのは大きな門でした。

    門の中には階段もあり、そのまま上へ上がれるような構造になっています。濃い茶色の木でできた梁や柱が複雑に絡み合っており、重厚感があります。門を抜け、参道を進んでいくと、仏殿が現れました。

     見た限りでは、仏殿も禅宗様な気がします。中には廬舎那仏の像があり、天井には龍の絵が描かれていました。この龍の絵自体は最近になって描かれたものなんだとか。

     そして、お待ちかね。自分が唯一明確に禅宗様と認識できる建物、舎利殿へやってまいりました。もちろん、自分が行った日は拝殿できなかったので、遠目から眺めることしかできませんでしたが、禅宗様特有の急な屋根は確認することができました。しかし、これだけが円覚寺の魅力ではありません。なんと円覚寺の中には北条時宗のお墓があるのです。時宗だけでなく、貞時・高時の三人が合祀されています。お墓へ入るにはさらにお金を払わないといけないのが、残念なポイントですが、あまり見に来る人も多くないのでゆっくりと静かにお参りすることができました。

     また、円覚寺は庭園も素晴らしく、かの夢窓疎石が作庭したとされる妙香池は紅葉も相まってとても美しかったです。今の時期にしか見られない枯山水庭園を楽しめました。

     続いて向かったのは円覚寺のほぼ向かいにある浄智寺。このお寺は鎌倉五山の第四位に叙されている大変歴史の長いお寺です。そんな浄智寺ですが、実際に行ってみると、円覚寺ほどにぎやかではない印象を受けました。派手で大きな建物がたくさんあるわけではありませんが、その分静かで厳かな雰囲気があります(と言いつつも、三脚立ててライブ配信(?)をしてらっしゃる外国人の方がいらっしゃいました)。そんな浄智寺は門に大きな特徴があります。門と聞くと、文字通り漢字の”門”の形をしていると想像しがちですが、ここの門は鐘楼門なのです。二層構造で、下の層が門、上の層には梵鐘をさげる堂という構造になっていました。

    門というより東屋みたいな感じでした。しかも、下の層にはベンチがありました。何も知らない人が見たら門とは思わないでしょう。

     日本ではあまり見かけない形状ではないでしょうか。宋風の様式が伺えます。写真を撮り損ねてしまったのですが、本堂も宋風で、鎌倉五山の中でも異色だと感じました。広くて美しい庭や枯山水といった見た目の華やかさには力を入れすぎず、門の様式や本堂で特徴を出す。まさに、質素を是とする禅の精神といえるのではないでしょうか。

     次に向かったのは明月院。あまり日本史ではメジャーでないかもしれません。しかし、観光地として素晴らしいのはもちろんなのですが、鎌倉時代が好きな方にもお勧めしたいスポットなのです。何を隠そう、ここの寺には北条時頼のお墓があるのです。明月院は綺麗な花がいっぱい植えてあり、中でも紫陽花が有名で、見ごろの季節ではとても美しい景色を楽しむことができます。しかし、そんな景色に目もくれず真っすぐ時頼のお墓へ。

     メインの道から少し外れたところにあります。先ほどの円覚寺もそうでしたが、あまり観光客の方は有名人のお墓には来ないようです。知る人ぞ知るスポットといった扱いなのでしょうか。お参りをしたあと、元の道に戻って、さらに奥へ進んでいきます。裏の庭園は紅葉と菖蒲の季節しかオープンしておらず、普段は入れません。方丈の円形の窓から覗く紅葉は大変綺麗でありました。

    ちょうど日が窓から入ってきてて綺麗さが増している気がします。

     そして、次の目的地に向かおうとした瞬間、思いもよらないものが目に飛び込んできました。なんと、ウサギ小屋があったのです。しかもその中にはクリスマスツリーが飾ってあります。どういうことなの…。神仏習合の”神”は神道の神ではなく、キリスト教の神だったのかもしれません。

    ここだけメルヘンチック。お寺とは到底思えません。

     次にやってきたのは長寿寺。これまた日本史ではあまり名前を聞かないお寺でしょう。ですが、このお寺にも魅力があります。それは、季節限定で足利尊氏のお墓を公開しているということです。実は、尊氏のお墓は二つあります。一つは京都の等持院。こちらの寺は尊氏の戒名からその名前がつけられました。一方、今から向かう鎌倉にある方は遺髪が埋葬されているのです。

    このお墓は普段公開していません。今年はもう公開しないそうで、年が明けてからまた見られるようになるそうです。

     もちろん、尊氏のお墓以外にも見どころはたくさんあります。まず、なんといっても庭園が綺麗でした。お堂で正座をしながら美しい庭園を眺める経験はそうそうできるものではないでしょう。

     何より、長寿寺は普段、決まった曜日にしか空いておらず、そもそも拝観するのが難しいという特徴があるのです。そして、あまり広すぎないので、ゆっくりと見て回れるという点も良いポイントでした。

     そして、次は皆さんお待ちかね。鎌倉五山第一位の建長寺へやってまいりました。さすが建長寺。境内に入る前から多くの人であふれています。

    よく見ていただければ分かると思うのですが、一番右の「巨」の字が少し違っているのです。この方が文字のバランスがいいらしいので、わざと一画加えたそうです。

     そして、敷地が広く、建物が多い。特に、奥の山はちょっとしたハイキングコースになっており、見ごたえのあるお寺となっています。入口の総門を抜けて見えてきたのは山門です。この門の上層に仏像が何体かおかれているそうですが、当然、非公開となっているため、見れません。

    画像の左側に登れるように階段が設置されています。円覚寺と同じですね。

     見た感じ太い柱と細い梁が複雑にかみ合った設計のようです。一応禅宗様建築なのかもしれませんが、所々特徴と違う箇所もありました。特に、太い柱を使った設計は禅宗様建築ではあまりみられないのではないでしょうか。そのまま奥へ向かうと、仏殿があるのですが、残念ながら、現在改修工事を実施中でした。もともと芝の増上寺にあったものを移築させたんだとか。仕方がないので、隣にある法堂へ向かいます。

    画像右側が工事中の仏殿です。

     こちらの法堂は1825年になってから作られたそうで、美術史に疎い自分にはなんの様式なのか分かりませんでした。また、中に安置されている像はパキスタンから来たものだそうで、日本の仏像には見られない、髭が生えているという特徴が見られました。方丈から庭を見るとこんな感じ。

     この庭園は蘭渓道隆によって作られたそうです。歴史上の人物が残したものをこういう形で楽しめるのは現代人の特権ですね。さて、先ほどちょっとしたハイキングコースがあると書いたと思います。もし、登られるのであれば、丈が長いコートはおよしなさった方がいいでしょう。これは鎌倉全般に言えることですが、山がちな地形ですので、地面と布がこすれて汚れてしまいます。そうならないように、たくし上げて登山するのは中々に骨が折れることです。大体10分くらいでしょうか。大勢の人と一緒に階段を登っていくと…見えてきました。

     天狗の像が大小合わせて12体。鎮守神である半僧坊大権現を祀る社が裏山にあります。しかも、ここからの眺めは素晴らしく、富士山や海も見えました。やはり、鎌倉は冬に行くのがいいですね。紅葉が景色を二割増しくらい綺麗に見せてくれています。

     ここから少し歩きます。次に向かうのは鶴岡八幡宮。ここにきて初めての神社です。お昼を食べて、やってきたらもう参道は超満員でした。結婚式の写真を撮ってらっしゃる方もいれば、成人式(?)の写真を撮ってる人も。カメラマンや艶やかな着物を着た人が至る所におり、映り込まないようにするのが大変です。

    修学旅行生もたくさんいました。

     横断歩道を渡り、鳥居をくぐったら左右に大きな池が広がっていました。それぞれ源氏池と平家池と呼ばれているそうです。構造上しょうがないのでしょうが、源氏池のほうが多く人が集まっていました。

    奥の方に水鳥用の餌を売ってる店があり、凄くにぎわっていました。写真は源氏池の方です。

     さて、鶴岡八幡宮と言えば、実朝の暗殺が有名ですが、それだけではありません。境内には鎌倉国宝館があり、見ごたえのある展示品が多くあります。写真撮影ができなかったので、お見せできませんが、明月院上杉重房坐像など資料集にも載ってるほど有名な像を展示していました。少し高いですが、中世が好きな人は一見の価値があると思います。国宝館の観覧をし、参道へ戻ってきました。国宝館には全然人がいませんでしたが、参道はもう通勤ラッシュ時の中央線みたいな混みようです。

     人の流れに身を任せて進んでいくと、大石段が見えてきました。ここの石段で実朝は殺されたと伝わっています。石段を登った先には本宮がありました。

     普通の神社であれば、ここで参拝して終わりですが、この神社はここで終わりではありません。奥に宝物殿があり、甲冑や刀剣、絵画を見ることができるのです。これには本当に驚きました。写真撮影が禁止だったため、詳しく魅力をお伝えできないのが残念ですが、鎌倉時代が好きな人は絶対に行った方が良いと断言できるくらい素晴らしい展示でした。本当はもっと行きたい所や見どころがいっぱいあったのですが、時間の都合上泣く泣く切り上げることに。冬は紅葉が綺麗なのが良いですが、その一方で寺院の拝観時間が短くなっていますので、一日に見て回れる場所の数がどうしても少なくなってしまうのが難点です。来年リベンジします。

     いかがでしたでしょうか。この記事を書くにあたって、少し調べなおしたところ、建長寺には河村瑞賢の墓があるそうです。いやー、行きたかったですね…。行きたいところがまた増えてしまいました。実際に見てみた感想ですが、同じ鎌倉五山と一言で言っても大きな違いがあることに気が付きました。もちろん、地震や戦災などによって影響を受けたため、元のように栄えていないだけかもしれません。しかし、その一方で苦難を乗り越えて元の輝きを取り戻そうとしていたり、次世代に歴史をつなごうとする試みも見ることができました。今は観光地として人気ではないスポットも長い歴史を見守り続けていたことに変わりはありません。一人の歴史を学ぶものとして、大切なことを学んだ気がします。次の記事は年末の挨拶になるかもしれません。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。
    PS.よくよく考えたらあんな狭い地域に大きな寺院が密集してて平気だったんでしょうか…?寺社同士の勢力争いとかが酷かったのではと思ってしまいました。

  • 割と歴史的価値が高いんだけど、戸定邸って知ってる?

     皆さんこんにちは。もう12月ですよ。本格的に冬が深まって参りました。寒いと遠出しなくなる佐々木信綱です。先日、史学研究会の会員と松戸の戸定邸と迎賓館赤坂離宮へ行ってきました。本日の記事はこの二つの邸宅に関する記事となります。史学研究会が普段どんな活動をしてるか、このブログを通してお伝えできれば幸いです。

     早朝に家を出て電車に揺られること2時間弱。松戸駅へやってまいりました。そして歩くこと五分。駅からそこまで離れていないところに戸定邸はあります。

     戸定邸は水戸藩最後の藩主であった徳川昭武が造った邸宅です。木造平屋建てで二階もありますが、階段が急なため、二階には上がれなくなっていました。入場料を払っていざ入ってみますと…一番手前にあったのは屋敷と直結してる防火仕様の蔵がありました。

     おそらくこの中に重要なものをしまっていたのでしょう。床は板張りではなく、白いカーペットのような絨毯のような何かが敷いてあります。建てられた当時からこのようなカーペットをひいていたのだとしたら、昭武のセンスに脱帽せざるを得ません。廊下は中庭に面しており、陽の光が自然と入ってくる設計になっています。屋根は床とは対照的に濃い茶色の板張りで、そこまで天井は高くありません。

     渡り廊下などは頭を下げながら進まないとぶつけてしまいそうなほど低かったほどです。さらに、道幅もあまり広くなく、大人二人がギリギリすれ違えるくらいの幅しかありませんでした。どちらかというと質素な印象を受けます。先に進んでいくと、浴室がありました。

     バスタブに足を入れてみると、意外と深く、大体1メートルほどの深さです。小さな子供が入ったら、底に足がつかないどころか溺れるんじゃないかと思ってしまうほどでした。多くの部屋はふすまで区切られていて、廊下に出なくても互いに行き来できるような構造になっています。

     来客用の大きな部屋から外に出てみると、広い庭が広がっていました。芝生の庭園からは天気が良ければ富士山が見えるそうですが、残念ながら行った日には見れませんでした。純和風の屋敷と西洋風の芝生の庭園という調和の取れた空間は日本全国探しても中々お目にかかれるものではないでしょう。

     続いて向かったのは迎賓館赤坂離宮。言わずと知れた日本で最も豪華な洋館です。できれば内部の写真をお見せしたいところですが、撮影が禁止されていましたので、あまり多くのことを伝えることはできません。ですが、豪華絢爛を体現した建物であることに間違いありません。贅の限りを尽くしたこの洋館は日本の近代西洋建築技術の集大成とみることができるでしょう。細部まで妥協なく作りこまれた装飾は美しいという言葉では到底表現しきれません。是非とも皆さん一度は足を運んでみてほしいです。

     あまり、有名ではないかもしれない戸定邸。この季節には紅葉が見ごろを迎えており、非常に見ごたえがありました。時間がある方は敷地内にある資料館もおすすめです。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 中大の山に聳え立つ謎の建造物を目指した先にあった光景

    中大の山に聳え立つ謎の建造物を目指した先にあった光景

     皆さんこんにちは。ここ最近熊のニュースを見ない日はない気がします。こないだ中央大学のある八王子市でも熊がでたと聞き、戦々恐々としている佐々木信綱です。何が恐ろしいかって、中央大学の北には森というか山というか丘があるということです。一昔前ではその山でハブが出ると言われていましたから、熊は出ないにしてもタヌキくらいは住んでそうなものです。

     そんな北の山には多摩動物公園駅へ続く道が走っています。しかし、それ以外は人の手が全く付けられていない野生の鬱蒼とした森がただ広がるのみ。昼間でも薄暗く、この道を使うのはよっぽどの物好きか、近所に住んでる学生だけでしょう。

    かつては多くの学生が通ったであろう道。今では見る影もない。

    しかし、そんな森に高々と聳える人工物。そう、送電線鉄塔が山の中に立っているのです。今回の記事はそんな鉄塔を目指した結果待っていた光景についてです。
     まず、今回の目標地点、送電線鉄塔ですが、目指すにあたって自分は大きく回り込む行き方を採用しました。衛星写真を参照していただければご理解いただけると思うのですが、鉄塔の南西側が大きく開けているのです。しかも、舗装されていると思われる道も見えます。さらに、もう一本の大きな道から枝分かれしていそうという行きやすさ。上から見るだけですと、高低差がよく分かりませんから、できるだけ安全な道を通りたいのです。 

    左側へ行くと、前の画像の道に繋がります。

     さて、中央大学明星大学駅から一駅行ったところにある多摩動物公園駅で降り、大学のほうへ向かいます。すると、かつては多くの学生たちが使っていたであろうトンネルへの入り口が見えてきました。しかし、今回の目当てはそちらではなく右側。しばらく道なりに進んでいきます。木々が道の上に覆うように生えており、快晴だというのに妙な不気味があります。もちろん、ストリートビューは使えません。GPSで大まかな位置を確認しつつ、送電線を目印に歩くこと数分。突然、日の光が差し込んできました。日光が見えるということは、誰かが木をわざわざ伐採したということです。東側に目を向けるとそこにあったのはなんと、お墓でした。

    大学ができる前からあったのでしょうか。竹林の後ろには鉄塔が見えます。

     一基だけポツンと置かれています。一帯は木々がなく、手入れが行き届いている印象を受けます。そうはいっても下草は伸び放題ですし、倒れた木はそのまま放置されたままでした。藪の向こうから日光が届いていたので、近寄って見ると、急な斜面から竹が生えていました。

    このまま竹林を進んだとしても、斜面が急すぎて、登れそうにありません。

     おそらく、この藪を分け入っていて斜面を登れば、最初の舗装された道につながるのでしょう。しかし、それを確かめるのは危険ですし、何より今回の目標は送電線鉄塔へ行くことです。元の道に戻り、歩いていくと衛星写真で確認した通り、Uターンするように鉄塔へ続く道があるではありませんか!しかし、私の夢はここまででした。なんと私の行く手を遮るように障害物がおかれていたのです…。

    地面に刺さった金属製のパイプ。横の棒は錆び切っており、手入れされているようには見えません。なんとしても通さないという意思を強く感じました。

     ひょっとすると車両の出入りを禁止するためのもので、人の出入りを禁止するものではなかったのかもしれません。しかし、普通の送電線鉄塔であれば、周囲に人が入らないようフェンスで近づけないようになっているはずですが、衛星写真を見る限り、お目当ての鉄塔にはありません。この規制を無視して奥へ進むという選択肢を取る勇気は自分にはありませんでした。あぁ、目標を目の前にして背中を向けるという口惜しさよ。自分はこのまたとないチャンスをむざむざと捨てる決断を迫られ、撤退する羽目になったのです。
     ですが!こんなところで挫けている時間はありません。ゆくゆくは明星大学の友人に頼み、明星大学の方から調査を行ってみたいと思います。さらに、人から聞いた話では、水源(?)があるんだとかないんだとか。まだまだ謎の多き中央大学近辺を調べていきますので応援よろしくお願いします。では、また次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭四日目

     これ投稿するくらいにはもう日を跨いでそうですが・・・皆さま、白門祭お疲れ様でした!最終日の今日、裏山にあるお稲荷さんに行ってきた佐々木信綱です。行ってみると、意外にも多くのお客さんがいらっしゃらいました!今後も(なるべく)ホームページの更新を行っていきますので応援よろしくお願いします。

     さて、本日の来場者数はなんと290人!四日間で合計1093人となり、目標としていた四日間で千人を無事達成することができました!これもひとえに皆様が中央大学史学研究会に興味を持ってくれたからに他なりません。改めて感謝の言葉を述べさせていただきます。

     この白門祭は自分にとって人生初の大学の学園祭でした。わからないことや困ったことも多くありましたが、それよりももっと大きなものが得られたと実感しています。特に、ほかの大学様の史学研究会と対話する場を設けられたというのが最も重要な経験になったと思います。

     そして最後に。白門祭が終わったからといって何か変わるわけではありません。史学研のブースに来られた方も、そうでない方も、これからもどうぞ中央大学史学研究会をよろしくお願いします!以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭三日目

     ふと思い出して、自分の更新したHPを見てみたら、六月二十六日の記事で白門祭期間中に是非神社に行ってみて的なことを言っていました。白門祭に来られた皆さまはお参りされました?昨日今日と多くの方に来てもらえて嬉しい佐々木信綱です。このブログを読んで史学研のブースに来ようと思い至った方はどのくらいいるのでしょうか…?

     さて、もう白門祭も残すところあと一日。本日も多くの人に来ていただくことができました。なんとその数364人!この三日間で最多の記録です!今日までの合計人数は803人。この調子なら目標の1000人は達成できそうです。

     本日も予定通り13時から「異国と自国文化の影響」をテーマに座談会を開催させていただきました。

    本日の座談会では、昨日よりも多くの方にお越しいただくことができました。明日で白門祭は最後です!まだ来られてない方はぜひお越しください。行って後悔するような展示はしておりません。それではまた明日、ブースでお会いできるのを楽しみにしております。以上、佐々木信綱でした。