投稿者: 佐々木信綱

  • 今年一年の締めの言葉

    2025年も残すところあとわずかとなりました。今年も史学研究会は白門祭展示や夏合宿など、精力的に活動してまいりました。史料と向き合い、仲間たちと議論できたこの一年はかけがえのない経験になりました。新しい年が皆様にとって、満ちた実り多きものとなりますようお祈り申し上げます。 来年も当研究会をどうぞよろしくお願いいたします。

  • いざ、鎌倉!!

    いざ、鎌倉!!

     気がついたらもう一年が終わろうとしていますよ…。この導入の部分もネタ切れになりつつあります。ここ最近季節の挨拶しかしてない気がする佐々木信綱です。生成aiとかにこの部分を書かせようか本気で検討しています。さて、本日の記事は鎌倉の寺社や歴史上有名な人物のお墓を巡ってみた感想と、見どころについてです。寺社巡りサークルに片足突っ込んでそうですが、歴史に関係のあることは何でも(そこまで関係ない時もあるけど)記事にして参りますので、来年もよろしくお願いします。

     まず初めに、鎌倉にはどんな有名な寺社があるのか申し上げますと、鎌倉五山・鶴岡八幡宮・明月院などが挙げられます。この内、鎌倉五山第二位の円覚寺の舎利殿は代表的な禅宗様の建物として資料集などにも載っているほどの有名な建物なのですが、この円覚寺舎利殿、普段は公開しておらず、1年で10日くらいしか見学することができないのです。自分が行った時には遠目から見ることしかできなかったのが、残念でしたが、実際に行ってみて分かることも多くありましたので、その点も交えつつご紹介したいと思います。

     朝9時10分。北鎌倉駅に到着しました。まだ空気は冷たいですが、すでに多くの人で駅周辺はごった返しています。何を隠そう、最初の目的地、円覚寺と北鎌倉駅は目と鼻の先にあるのです。国籍・老若男女問わず無数の人が今から参拝しようとしているのです。石の階段を登った先で目に飛び込んできたのは大きな門でした。

    門の中には階段もあり、そのまま上へ上がれるような構造になっています。濃い茶色の木でできた梁や柱が複雑に絡み合っており、重厚感があります。門を抜け、参道を進んでいくと、仏殿が現れました。

     見た限りでは、仏殿も禅宗様な気がします。中には廬舎那仏の像があり、天井には龍の絵が描かれていました。この龍の絵自体は最近になって描かれたものなんだとか。

     そして、お待ちかね。自分が唯一明確に禅宗様と認識できる建物、舎利殿へやってまいりました。もちろん、自分が行った日は拝殿できなかったので、遠目から眺めることしかできませんでしたが、禅宗様特有の急な屋根は確認することができました。しかし、これだけが円覚寺の魅力ではありません。なんと円覚寺の中には北条時宗のお墓があるのです。時宗だけでなく、貞時・高時の三人が合祀されています。お墓へ入るにはさらにお金を払わないといけないのが、残念なポイントですが、あまり見に来る人も多くないのでゆっくりと静かにお参りすることができました。

     また、円覚寺は庭園も素晴らしく、かの夢窓疎石が作庭したとされる妙香池は紅葉も相まってとても美しかったです。今の時期にしか見られない枯山水庭園を楽しめました。

     続いて向かったのは円覚寺のほぼ向かいにある浄智寺。このお寺は鎌倉五山の第四位に叙されている大変歴史の長いお寺です。そんな浄智寺ですが、実際に行ってみると、円覚寺ほどにぎやかではない印象を受けました。派手で大きな建物がたくさんあるわけではありませんが、その分静かで厳かな雰囲気があります(と言いつつも、三脚立ててライブ配信(?)をしてらっしゃる外国人の方がいらっしゃいました)。そんな浄智寺は門に大きな特徴があります。門と聞くと、文字通り漢字の”門”の形をしていると想像しがちですが、ここの門は鐘楼門なのです。二層構造で、下の層が門、上の層には梵鐘をさげる堂という構造になっていました。

    門というより東屋みたいな感じでした。しかも、下の層にはベンチがありました。何も知らない人が見たら門とは思わないでしょう。

     日本ではあまり見かけない形状ではないでしょうか。宋風の様式が伺えます。写真を撮り損ねてしまったのですが、本堂も宋風で、鎌倉五山の中でも異色だと感じました。広くて美しい庭や枯山水といった見た目の華やかさには力を入れすぎず、門の様式や本堂で特徴を出す。まさに、質素を是とする禅の精神といえるのではないでしょうか。

     次に向かったのは明月院。あまり日本史ではメジャーでないかもしれません。しかし、観光地として素晴らしいのはもちろんなのですが、鎌倉時代が好きな方にもお勧めしたいスポットなのです。何を隠そう、ここの寺には北条時頼のお墓があるのです。明月院は綺麗な花がいっぱい植えてあり、中でも紫陽花が有名で、見ごろの季節ではとても美しい景色を楽しむことができます。しかし、そんな景色に目もくれず真っすぐ時頼のお墓へ。

     メインの道から少し外れたところにあります。先ほどの円覚寺もそうでしたが、あまり観光客の方は有名人のお墓には来ないようです。知る人ぞ知るスポットといった扱いなのでしょうか。お参りをしたあと、元の道に戻って、さらに奥へ進んでいきます。裏の庭園は紅葉と菖蒲の季節しかオープンしておらず、普段は入れません。方丈の円形の窓から覗く紅葉は大変綺麗でありました。

    ちょうど日が窓から入ってきてて綺麗さが増している気がします。

     そして、次の目的地に向かおうとした瞬間、思いもよらないものが目に飛び込んできました。なんと、ウサギ小屋があったのです。しかもその中にはクリスマスツリーが飾ってあります。どういうことなの…。神仏習合の”神”は神道の神ではなく、キリスト教の神だったのかもしれません。

    ここだけメルヘンチック。お寺とは到底思えません。

     次にやってきたのは長寿寺。これまた日本史ではあまり名前を聞かないお寺でしょう。ですが、このお寺にも魅力があります。それは、季節限定で足利尊氏のお墓を公開しているということです。実は、尊氏のお墓は二つあります。一つは京都の等持院。こちらの寺は尊氏の戒名からその名前がつけられました。一方、今から向かう鎌倉にある方は遺髪が埋葬されているのです。

    このお墓は普段公開していません。今年はもう公開しないそうで、年が明けてからまた見られるようになるそうです。

     もちろん、尊氏のお墓以外にも見どころはたくさんあります。まず、なんといっても庭園が綺麗でした。お堂で正座をしながら美しい庭園を眺める経験はそうそうできるものではないでしょう。

     何より、長寿寺は普段、決まった曜日にしか空いておらず、そもそも拝観するのが難しいという特徴があるのです。そして、あまり広すぎないので、ゆっくりと見て回れるという点も良いポイントでした。

     そして、次は皆さんお待ちかね。鎌倉五山第一位の建長寺へやってまいりました。さすが建長寺。境内に入る前から多くの人であふれています。

    よく見ていただければ分かると思うのですが、一番右の「巨」の字が少し違っているのです。この方が文字のバランスがいいらしいので、わざと一画加えたそうです。

     そして、敷地が広く、建物が多い。特に、奥の山はちょっとしたハイキングコースになっており、見ごたえのあるお寺となっています。入口の総門を抜けて見えてきたのは山門です。この門の上層に仏像が何体かおかれているそうですが、当然、非公開となっているため、見れません。

    画像の左側に登れるように階段が設置されています。円覚寺と同じですね。

     見た感じ太い柱と細い梁が複雑にかみ合った設計のようです。一応禅宗様建築なのかもしれませんが、所々特徴と違う箇所もありました。特に、太い柱を使った設計は禅宗様建築ではあまりみられないのではないでしょうか。そのまま奥へ向かうと、仏殿があるのですが、残念ながら、現在改修工事を実施中でした。もともと芝の増上寺にあったものを移築させたんだとか。仕方がないので、隣にある法堂へ向かいます。

    画像右側が工事中の仏殿です。

     こちらの法堂は1825年になってから作られたそうで、美術史に疎い自分にはなんの様式なのか分かりませんでした。また、中に安置されている像はパキスタンから来たものだそうで、日本の仏像には見られない、髭が生えているという特徴が見られました。方丈から庭を見るとこんな感じ。

     この庭園は蘭渓道隆によって作られたそうです。歴史上の人物が残したものをこういう形で楽しめるのは現代人の特権ですね。さて、先ほどちょっとしたハイキングコースがあると書いたと思います。もし、登られるのであれば、丈が長いコートはおよしなさった方がいいでしょう。これは鎌倉全般に言えることですが、山がちな地形ですので、地面と布がこすれて汚れてしまいます。そうならないように、たくし上げて登山するのは中々に骨が折れることです。大体10分くらいでしょうか。大勢の人と一緒に階段を登っていくと…見えてきました。

     天狗の像が大小合わせて12体。鎮守神である半僧坊大権現を祀る社が裏山にあります。しかも、ここからの眺めは素晴らしく、富士山や海も見えました。やはり、鎌倉は冬に行くのがいいですね。紅葉が景色を二割増しくらい綺麗に見せてくれています。

     ここから少し歩きます。次に向かうのは鶴岡八幡宮。ここにきて初めての神社です。お昼を食べて、やってきたらもう参道は超満員でした。結婚式の写真を撮ってらっしゃる方もいれば、成人式(?)の写真を撮ってる人も。カメラマンや艶やかな着物を着た人が至る所におり、映り込まないようにするのが大変です。

    修学旅行生もたくさんいました。

     横断歩道を渡り、鳥居をくぐったら左右に大きな池が広がっていました。それぞれ源氏池と平家池と呼ばれているそうです。構造上しょうがないのでしょうが、源氏池のほうが多く人が集まっていました。

    奥の方に水鳥用の餌を売ってる店があり、凄くにぎわっていました。写真は源氏池の方です。

     さて、鶴岡八幡宮と言えば、実朝の暗殺が有名ですが、それだけではありません。境内には鎌倉国宝館があり、見ごたえのある展示品が多くあります。写真撮影ができなかったので、お見せできませんが、明月院上杉重房坐像など資料集にも載ってるほど有名な像を展示していました。少し高いですが、中世が好きな人は一見の価値があると思います。国宝館の観覧をし、参道へ戻ってきました。国宝館には全然人がいませんでしたが、参道はもう通勤ラッシュ時の中央線みたいな混みようです。

     人の流れに身を任せて進んでいくと、大石段が見えてきました。ここの石段で実朝は殺されたと伝わっています。石段を登った先には本宮がありました。

     普通の神社であれば、ここで参拝して終わりですが、この神社はここで終わりではありません。奥に宝物殿があり、甲冑や刀剣、絵画を見ることができるのです。これには本当に驚きました。写真撮影が禁止だったため、詳しく魅力をお伝えできないのが残念ですが、鎌倉時代が好きな人は絶対に行った方が良いと断言できるくらい素晴らしい展示でした。本当はもっと行きたい所や見どころがいっぱいあったのですが、時間の都合上泣く泣く切り上げることに。冬は紅葉が綺麗なのが良いですが、その一方で寺院の拝観時間が短くなっていますので、一日に見て回れる場所の数がどうしても少なくなってしまうのが難点です。来年リベンジします。

     いかがでしたでしょうか。この記事を書くにあたって、少し調べなおしたところ、建長寺には河村瑞賢の墓があるそうです。いやー、行きたかったですね…。行きたいところがまた増えてしまいました。実際に見てみた感想ですが、同じ鎌倉五山と一言で言っても大きな違いがあることに気が付きました。もちろん、地震や戦災などによって影響を受けたため、元のように栄えていないだけかもしれません。しかし、その一方で苦難を乗り越えて元の輝きを取り戻そうとしていたり、次世代に歴史をつなごうとする試みも見ることができました。今は観光地として人気ではないスポットも長い歴史を見守り続けていたことに変わりはありません。一人の歴史を学ぶものとして、大切なことを学んだ気がします。次の記事は年末の挨拶になるかもしれません。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。
    PS.よくよく考えたらあんな狭い地域に大きな寺院が密集してて平気だったんでしょうか…?寺社同士の勢力争いとかが酷かったのではと思ってしまいました。

  • 割と歴史的価値が高いんだけど、戸定邸って知ってる?

     皆さんこんにちは。もう12月ですよ。本格的に冬が深まって参りました。寒いと遠出しなくなる佐々木信綱です。先日、史学研究会の会員と松戸の戸定邸と迎賓館赤坂離宮へ行ってきました。本日の記事はこの二つの邸宅に関する記事となります。史学研究会が普段どんな活動をしてるか、このブログを通してお伝えできれば幸いです。

     早朝に家を出て電車に揺られること2時間弱。松戸駅へやってまいりました。そして歩くこと五分。駅からそこまで離れていないところに戸定邸はあります。

     戸定邸は水戸藩最後の藩主であった徳川昭武が造った邸宅です。木造平屋建てで二階もありますが、階段が急なため、二階には上がれなくなっていました。入場料を払っていざ入ってみますと…一番手前にあったのは屋敷と直結してる防火仕様の蔵がありました。

     おそらくこの中に重要なものをしまっていたのでしょう。床は板張りではなく、白いカーペットのような絨毯のような何かが敷いてあります。建てられた当時からこのようなカーペットをひいていたのだとしたら、昭武のセンスに脱帽せざるを得ません。廊下は中庭に面しており、陽の光が自然と入ってくる設計になっています。屋根は床とは対照的に濃い茶色の板張りで、そこまで天井は高くありません。

     渡り廊下などは頭を下げながら進まないとぶつけてしまいそうなほど低かったほどです。さらに、道幅もあまり広くなく、大人二人がギリギリすれ違えるくらいの幅しかありませんでした。どちらかというと質素な印象を受けます。先に進んでいくと、浴室がありました。

     バスタブに足を入れてみると、意外と深く、大体1メートルほどの深さです。小さな子供が入ったら、底に足がつかないどころか溺れるんじゃないかと思ってしまうほどでした。多くの部屋はふすまで区切られていて、廊下に出なくても互いに行き来できるような構造になっています。

     来客用の大きな部屋から外に出てみると、広い庭が広がっていました。芝生の庭園からは天気が良ければ富士山が見えるそうですが、残念ながら行った日には見れませんでした。純和風の屋敷と西洋風の芝生の庭園という調和の取れた空間は日本全国探しても中々お目にかかれるものではないでしょう。

     続いて向かったのは迎賓館赤坂離宮。言わずと知れた日本で最も豪華な洋館です。できれば内部の写真をお見せしたいところですが、撮影が禁止されていましたので、あまり多くのことを伝えることはできません。ですが、豪華絢爛を体現した建物であることに間違いありません。贅の限りを尽くしたこの洋館は日本の近代西洋建築技術の集大成とみることができるでしょう。細部まで妥協なく作りこまれた装飾は美しいという言葉では到底表現しきれません。是非とも皆さん一度は足を運んでみてほしいです。

     あまり、有名ではないかもしれない戸定邸。この季節には紅葉が見ごろを迎えており、非常に見ごたえがありました。時間がある方は敷地内にある資料館もおすすめです。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 中大の山に聳え立つ謎の建造物を目指した先にあった光景

    中大の山に聳え立つ謎の建造物を目指した先にあった光景

     皆さんこんにちは。ここ最近熊のニュースを見ない日はない気がします。こないだ中央大学のある八王子市でも熊がでたと聞き、戦々恐々としている佐々木信綱です。何が恐ろしいかって、中央大学の北には森というか山というか丘があるということです。一昔前ではその山でハブが出ると言われていましたから、熊は出ないにしてもタヌキくらいは住んでそうなものです。

     そんな北の山には多摩動物公園駅へ続く道が走っています。しかし、それ以外は人の手が全く付けられていない野生の鬱蒼とした森がただ広がるのみ。昼間でも薄暗く、この道を使うのはよっぽどの物好きか、近所に住んでる学生だけでしょう。

    かつては多くの学生が通ったであろう道。今では見る影もない。

    しかし、そんな森に高々と聳える人工物。そう、送電線鉄塔が山の中に立っているのです。今回の記事はそんな鉄塔を目指した結果待っていた光景についてです。
     まず、今回の目標地点、送電線鉄塔ですが、目指すにあたって自分は大きく回り込む行き方を採用しました。衛星写真を参照していただければご理解いただけると思うのですが、鉄塔の南西側が大きく開けているのです。しかも、舗装されていると思われる道も見えます。さらに、もう一本の大きな道から枝分かれしていそうという行きやすさ。上から見るだけですと、高低差がよく分かりませんから、できるだけ安全な道を通りたいのです。 

    左側へ行くと、前の画像の道に繋がります。

     さて、中央大学明星大学駅から一駅行ったところにある多摩動物公園駅で降り、大学のほうへ向かいます。すると、かつては多くの学生たちが使っていたであろうトンネルへの入り口が見えてきました。しかし、今回の目当てはそちらではなく右側。しばらく道なりに進んでいきます。木々が道の上に覆うように生えており、快晴だというのに妙な不気味があります。もちろん、ストリートビューは使えません。GPSで大まかな位置を確認しつつ、送電線を目印に歩くこと数分。突然、日の光が差し込んできました。日光が見えるということは、誰かが木をわざわざ伐採したということです。東側に目を向けるとそこにあったのはなんと、お墓でした。

    大学ができる前からあったのでしょうか。竹林の後ろには鉄塔が見えます。

     一基だけポツンと置かれています。一帯は木々がなく、手入れが行き届いている印象を受けます。そうはいっても下草は伸び放題ですし、倒れた木はそのまま放置されたままでした。藪の向こうから日光が届いていたので、近寄って見ると、急な斜面から竹が生えていました。

    このまま竹林を進んだとしても、斜面が急すぎて、登れそうにありません。

     おそらく、この藪を分け入っていて斜面を登れば、最初の舗装された道につながるのでしょう。しかし、それを確かめるのは危険ですし、何より今回の目標は送電線鉄塔へ行くことです。元の道に戻り、歩いていくと衛星写真で確認した通り、Uターンするように鉄塔へ続く道があるではありませんか!しかし、私の夢はここまででした。なんと私の行く手を遮るように障害物がおかれていたのです…。

    地面に刺さった金属製のパイプ。横の棒は錆び切っており、手入れされているようには見えません。なんとしても通さないという意思を強く感じました。

     ひょっとすると車両の出入りを禁止するためのもので、人の出入りを禁止するものではなかったのかもしれません。しかし、普通の送電線鉄塔であれば、周囲に人が入らないようフェンスで近づけないようになっているはずですが、衛星写真を見る限り、お目当ての鉄塔にはありません。この規制を無視して奥へ進むという選択肢を取る勇気は自分にはありませんでした。あぁ、目標を目の前にして背中を向けるという口惜しさよ。自分はこのまたとないチャンスをむざむざと捨てる決断を迫られ、撤退する羽目になったのです。
     ですが!こんなところで挫けている時間はありません。ゆくゆくは明星大学の友人に頼み、明星大学の方から調査を行ってみたいと思います。さらに、人から聞いた話では、水源(?)があるんだとかないんだとか。まだまだ謎の多き中央大学近辺を調べていきますので応援よろしくお願いします。では、また次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭四日目

     これ投稿するくらいにはもう日を跨いでそうですが・・・皆さま、白門祭お疲れ様でした!最終日の今日、裏山にあるお稲荷さんに行ってきた佐々木信綱です。行ってみると、意外にも多くのお客さんがいらっしゃらいました!今後も(なるべく)ホームページの更新を行っていきますので応援よろしくお願いします。

     さて、本日の来場者数はなんと290人!四日間で合計1093人となり、目標としていた四日間で千人を無事達成することができました!これもひとえに皆様が中央大学史学研究会に興味を持ってくれたからに他なりません。改めて感謝の言葉を述べさせていただきます。

     この白門祭は自分にとって人生初の大学の学園祭でした。わからないことや困ったことも多くありましたが、それよりももっと大きなものが得られたと実感しています。特に、ほかの大学様の史学研究会と対話する場を設けられたというのが最も重要な経験になったと思います。

     そして最後に。白門祭が終わったからといって何か変わるわけではありません。史学研のブースに来られた方も、そうでない方も、これからもどうぞ中央大学史学研究会をよろしくお願いします!以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭三日目

     ふと思い出して、自分の更新したHPを見てみたら、六月二十六日の記事で白門祭期間中に是非神社に行ってみて的なことを言っていました。白門祭に来られた皆さまはお参りされました?昨日今日と多くの方に来てもらえて嬉しい佐々木信綱です。このブログを読んで史学研のブースに来ようと思い至った方はどのくらいいるのでしょうか…?

     さて、もう白門祭も残すところあと一日。本日も多くの人に来ていただくことができました。なんとその数364人!この三日間で最多の記録です!今日までの合計人数は803人。この調子なら目標の1000人は達成できそうです。

     本日も予定通り13時から「異国と自国文化の影響」をテーマに座談会を開催させていただきました。

    本日の座談会では、昨日よりも多くの方にお越しいただくことができました。明日で白門祭は最後です!まだ来られてない方はぜひお越しください。行って後悔するような展示はしておりません。それではまた明日、ブースでお会いできるのを楽しみにしております。以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭二日目

    白門祭二日目

     皆さんこんにちは。今日は本当に多くの方にお越しいただきありがとうございました。昨日より圧倒的に忙しかった佐々木信綱です。

    さて、今日は文化祭二日目。休日ということもあり、昨日より圧倒的に多くの人に来てもらうことができました!なんとその数289人!昨日の約2倍もの人数です。受験生の方はもちろん、親御さんや、OB・OGの方にも来ていただけました。このペースでいけば、目標としている合計来場者1000人も夢ではないでしょう。

    先輩や親御様から差し入れを受け取りました。ありがたく頂戴します!

     また、本日は13時から座談会を実施いたしました。テーマは「歴史学とは何か」です。我々の活動理由の根源を深く探求することができたのではないかと思います。

     明日も13時から座談会を実施いたします!テーマは「異国と自国文化の影響」です。お時間がありましたら是非史学研究会のブースに足を運ばれてみてはいかがでしょうか。ブースでお会いできるのを楽しみにしております。以上、佐々木信綱でした。

  • 白門祭一日目

    白門祭一日目

     皆さんこんにちは。この三連休の期間を活かして、白門祭に足を運んでみませんか?今日も準備日だと思っていた佐々木信綱です。

     さて、遂に!白門祭が始まりましたね!この日をどれだけ待ち望んでいたことか…。白門祭実行委員会の皆様をはじめ、関係各位様には頭が上がりません。普段通る道に所狭しと出店が並んでおり、イベントが本当に始まったんだなと実感しております。気になる史学研究会の一日目の来場者数は・・・

    150人でした!まぁこの天気と平日であるということを考慮すれば、そこまで悪い数字ではないのではないでしょうか。残りの三連休で合計来場者数1000人を目指して頑張りますので、皆様、白門祭にお越しください。最後に今日の様子を紹介して終わりにしたいと思います。以上、佐々木信綱でした。

  • 史学研究会@白門祭準備日

     もう一か月くらい更新してませんでした…。覚えていますか?失踪していた佐々木信綱です。ようやっとブログのネタが出てきたので超久しぶりに更新します。そして、数少ない読者の皆様。朗報です!これから白門祭期間中はなんと!!毎日更新します!!ずっと更新がなかったと思ったら、いきなり投稿しだす計画性のなさには目をつぶってもらって…。それでは、史学研の様子をご覧ください。

     今日の10時。代表委員会の面々が会室に集まりました。ここで今日一日の流れおよび、役割の分担を確認します。

     一連の流れを確認し終え、やってきたのは3551教室。すでに多くの会員が集まっていました。白門祭期間中はこの部屋が史学研の展示ブースです。しかし、教室には多くの椅子と机があります。まずはこれを脇にどかさなくてはいけません。

     椅子・机をどかし終えたら模造紙を貼るためのボードと支える柱を資材置き場まで取りに行かないといけません。

    雲一つない青空の下、太陽に向かって進む会員の姿。

    向かった先でボードを貰い、展示室まで持って帰らないといけないのですが、これがなかなかに骨が折れる作業なのです。一枚ならまだしも二枚を運ばないといけません。しかも、この輸送に掛けられる人手があまり多くなかったので、何回も往復することになってしまいました。

     ボードと柱を運び終えたら、組み立ての作業に入ります。何人かでボードを持ち、もう一人が支えてる柱の出っ張りに引っ掛けるのですが、これも大変な作業でした。事故が起きないように皆で声を掛け合って作業を進めていきます。

     ここまで来ればもう残りは少し。組みあがったボードに展示品の模造紙を貼っていきます。

     流石に展示内容までこのブログで紹介することはできません。この模造紙に何が書かれてるか気になったあなた。この先は明日、白門祭当日になるまでの我慢です。それではまた明日。会場でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

    PS.今年の史学研究会は各会員の興味関心分野の展示、史料購読の展示、座談会(11/1(歴史とは何か)〜11/2(異国と自国文化の影響)13:00〜14:00) 、スタンプラリー企画、過去の白門祭の展示など豪華企画が盛りだくさん!白門祭に来られた皆様は是非、史学研究会のブースもご覧ください!

  • 真っ昼間心霊スポット(?)へに行ってみる

     秋学期が始まったと思ったら、もうすぐ10月ですよ…。一気に涼しくなってきましたね。驚きを隠せない佐々木信綱です。実際は大阪遠征よりも前に行っていたのですが、大阪遠征の記事を優先することになったため、投稿できていなかった記事を投稿します。なんとか元の週一投稿のペースに戻していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。さて、中央大学のある八王子市には多くの史跡が残っています。ですが、その中に城跡があるということをご存知の方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。実は豊臣秀吉による小田原攻めで陥落した北条氏の城跡が残されているのです。今では心霊スポット(?)になっているんだとか。本日の記事はそんな八王子城跡へ行ってみた記録になります。

     まだ連日のように猛暑日が続いていた8月25日。ついたのは高尾駅。ここから八王子城跡までバスと徒歩で向かいます。バスといってもそこまで長くない距離なので、歩こうと思えば歩ける距離ではありますが、そこからさらに山登りがあると考えると、バスを使ったほうが賢明でしょう。実際、最寄りのバス停で降りてから向かうまでの上り坂が本当にきつかったです。汗を流しながら15分ほど歩き、ようやく山のふもとに着きました。八王子城は山城。ここから山頂付近まで登らなくてはなりません。ですが、いざ登り始めると意外や意外。山の中は涼しく、風が吹けばかなり快適でした。また、道がある程度整備されておりちょっとしたハイキングにはちょうどいいかもしれません。道なりに進んで行くと…見えてくるのが曳橋です。

    この橋は御主殿へ渡るために架けられた橋らしいのですが、元の形が分かっていないそうで、この再建された姿が正しいか不明だそうです。そして、橋を渡った先にあるのは虎口と冠木門。虎口に続く石畳は当時の物を再利用してありますが、冠木門は最近再建されたものです。門をくぐると、未だ発掘が進んでいない御主殿の跡がありました。かつてここで宴をしていたと思うと感慨深いものがります。もちろん、城跡ですので、天守閣やそれに準ずるような建物が残っているわけではありません。その点だけで言えば、有名どころの城よりも目立ちはしないかもしれませんが、ここで短い期間ではあっても関東を支配していた大名が住んでいたという事実は変わりません。

     自分は通り過ぎてしまったのですが、山のふもとには北条氏照のお墓があるそうです。また、土日であれば登山口のすぐ近くまでバスが来るそうなので、かなり手軽に行ける史跡となっています。これからの時期に行ってみるのはいかがでしょうか。さて、とにかく投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。数少ない読者に飽きられないように頑張って更新していくので、これからもよろしくお願いします。では、また次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。