気がついたらもう一年が終わろうとしていますよ…。この導入の部分もネタ切れになりつつあります。ここ最近季節の挨拶しかしてない気がする佐々木信綱です。生成aiとかにこの部分を書かせようか本気で検討しています。さて、本日の記事は鎌倉の寺社や歴史上有名な人物のお墓を巡ってみた感想と、見どころについてです。寺社巡りサークルに片足突っ込んでそうですが、歴史に関係のあることは何でも(そこまで関係ない時もあるけど)記事にして参りますので、来年もよろしくお願いします。
まず初めに、鎌倉にはどんな有名な寺社があるのか申し上げますと、鎌倉五山・鶴岡八幡宮・明月院などが挙げられます。この内、鎌倉五山第二位の円覚寺の舎利殿は代表的な禅宗様の建物として資料集などにも載っているほどの有名な建物なのですが、この円覚寺舎利殿、普段は公開しておらず、1年で10日くらいしか見学することができないのです。自分が行った時には遠目から見ることしかできなかったのが、残念でしたが、実際に行ってみて分かることも多くありましたので、その点も交えつつご紹介したいと思います。

朝9時10分。北鎌倉駅に到着しました。まだ空気は冷たいですが、すでに多くの人で駅周辺はごった返しています。何を隠そう、最初の目的地、円覚寺と北鎌倉駅は目と鼻の先にあるのです。国籍・老若男女問わず無数の人が今から参拝しようとしているのです。石の階段を登った先で目に飛び込んできたのは大きな門でした。

門の中には階段もあり、そのまま上へ上がれるような構造になっています。濃い茶色の木でできた梁や柱が複雑に絡み合っており、重厚感があります。門を抜け、参道を進んでいくと、仏殿が現れました。

見た限りでは、仏殿も禅宗様な気がします。中には廬舎那仏の像があり、天井には龍の絵が描かれていました。この龍の絵自体は最近になって描かれたものなんだとか。

そして、お待ちかね。自分が唯一明確に禅宗様と認識できる建物、舎利殿へやってまいりました。もちろん、自分が行った日は拝殿できなかったので、遠目から眺めることしかできませんでしたが、禅宗様特有の急な屋根は確認することができました。しかし、これだけが円覚寺の魅力ではありません。なんと円覚寺の中には北条時宗のお墓があるのです。時宗だけでなく、貞時・高時の三人が合祀されています。お墓へ入るにはさらにお金を払わないといけないのが、残念なポイントですが、あまり見に来る人も多くないのでゆっくりと静かにお参りすることができました。

また、円覚寺は庭園も素晴らしく、かの夢窓疎石が作庭したとされる妙香池は紅葉も相まってとても美しかったです。今の時期にしか見られない枯山水庭園を楽しめました。

続いて向かったのは円覚寺のほぼ向かいにある浄智寺。このお寺は鎌倉五山の第四位に叙されている大変歴史の長いお寺です。そんな浄智寺ですが、実際に行ってみると、円覚寺ほどにぎやかではない印象を受けました。派手で大きな建物がたくさんあるわけではありませんが、その分静かで厳かな雰囲気があります(と言いつつも、三脚立ててライブ配信(?)をしてらっしゃる外国人の方がいらっしゃいました)。そんな浄智寺は門に大きな特徴があります。門と聞くと、文字通り漢字の”門”の形をしていると想像しがちですが、ここの門は鐘楼門なのです。二層構造で、下の層が門、上の層には梵鐘をさげる堂という構造になっていました。

日本ではあまり見かけない形状ではないでしょうか。宋風の様式が伺えます。写真を撮り損ねてしまったのですが、本堂も宋風で、鎌倉五山の中でも異色だと感じました。広くて美しい庭や枯山水といった見た目の華やかさには力を入れすぎず、門の様式や本堂で特徴を出す。まさに、質素を是とする禅の精神といえるのではないでしょうか。
次に向かったのは明月院。あまり日本史ではメジャーでないかもしれません。しかし、観光地として素晴らしいのはもちろんなのですが、鎌倉時代が好きな方にもお勧めしたいスポットなのです。何を隠そう、ここの寺には北条時頼のお墓があるのです。明月院は綺麗な花がいっぱい植えてあり、中でも紫陽花が有名で、見ごろの季節ではとても美しい景色を楽しむことができます。しかし、そんな景色に目もくれず真っすぐ時頼のお墓へ。

メインの道から少し外れたところにあります。先ほどの円覚寺もそうでしたが、あまり観光客の方は有名人のお墓には来ないようです。知る人ぞ知るスポットといった扱いなのでしょうか。お参りをしたあと、元の道に戻って、さらに奥へ進んでいきます。裏の庭園は紅葉と菖蒲の季節しかオープンしておらず、普段は入れません。方丈の円形の窓から覗く紅葉は大変綺麗でありました。

そして、次の目的地に向かおうとした瞬間、思いもよらないものが目に飛び込んできました。なんと、ウサギ小屋があったのです。しかもその中にはクリスマスツリーが飾ってあります。どういうことなの…。神仏習合の”神”は神道の神ではなく、キリスト教の神だったのかもしれません。

次にやってきたのは長寿寺。これまた日本史ではあまり名前を聞かないお寺でしょう。ですが、このお寺にも魅力があります。それは、季節限定で足利尊氏のお墓を公開しているということです。実は、尊氏のお墓は二つあります。一つは京都の等持院。こちらの寺は尊氏の戒名からその名前がつけられました。一方、今から向かう鎌倉にある方は遺髪が埋葬されているのです。

もちろん、尊氏のお墓以外にも見どころはたくさんあります。まず、なんといっても庭園が綺麗でした。お堂で正座をしながら美しい庭園を眺める経験はそうそうできるものではないでしょう。

何より、長寿寺は普段、決まった曜日にしか空いておらず、そもそも拝観するのが難しいという特徴があるのです。そして、あまり広すぎないので、ゆっくりと見て回れるという点も良いポイントでした。
そして、次は皆さんお待ちかね。鎌倉五山第一位の建長寺へやってまいりました。さすが建長寺。境内に入る前から多くの人であふれています。

そして、敷地が広く、建物が多い。特に、奥の山はちょっとしたハイキングコースになっており、見ごたえのあるお寺となっています。入口の総門を抜けて見えてきたのは山門です。この門の上層に仏像が何体かおかれているそうですが、当然、非公開となっているため、見れません。

見た感じ太い柱と細い梁が複雑にかみ合った設計のようです。一応禅宗様建築なのかもしれませんが、所々特徴と違う箇所もありました。特に、太い柱を使った設計は禅宗様建築ではあまりみられないのではないでしょうか。そのまま奥へ向かうと、仏殿があるのですが、残念ながら、現在改修工事を実施中でした。もともと芝の増上寺にあったものを移築させたんだとか。仕方がないので、隣にある法堂へ向かいます。

こちらの法堂は1825年になってから作られたそうで、美術史に疎い自分にはなんの様式なのか分かりませんでした。また、中に安置されている像はパキスタンから来たものだそうで、日本の仏像には見られない、髭が生えているという特徴が見られました。方丈から庭を見るとこんな感じ。

この庭園は蘭渓道隆によって作られたそうです。歴史上の人物が残したものをこういう形で楽しめるのは現代人の特権ですね。さて、先ほどちょっとしたハイキングコースがあると書いたと思います。もし、登られるのであれば、丈が長いコートはおよしなさった方がいいでしょう。これは鎌倉全般に言えることですが、山がちな地形ですので、地面と布がこすれて汚れてしまいます。そうならないように、たくし上げて登山するのは中々に骨が折れることです。大体10分くらいでしょうか。大勢の人と一緒に階段を登っていくと…見えてきました。

天狗の像が大小合わせて12体。鎮守神である半僧坊大権現を祀る社が裏山にあります。しかも、ここからの眺めは素晴らしく、富士山や海も見えました。やはり、鎌倉は冬に行くのがいいですね。紅葉が景色を二割増しくらい綺麗に見せてくれています。

ここから少し歩きます。次に向かうのは鶴岡八幡宮。ここにきて初めての神社です。お昼を食べて、やってきたらもう参道は超満員でした。結婚式の写真を撮ってらっしゃる方もいれば、成人式(?)の写真を撮ってる人も。カメラマンや艶やかな着物を着た人が至る所におり、映り込まないようにするのが大変です。

横断歩道を渡り、鳥居をくぐったら左右に大きな池が広がっていました。それぞれ源氏池と平家池と呼ばれているそうです。構造上しょうがないのでしょうが、源氏池のほうが多く人が集まっていました。

さて、鶴岡八幡宮と言えば、実朝の暗殺が有名ですが、それだけではありません。境内には鎌倉国宝館があり、見ごたえのある展示品が多くあります。写真撮影ができなかったので、お見せできませんが、明月院上杉重房坐像など資料集にも載ってるほど有名な像を展示していました。少し高いですが、中世が好きな人は一見の価値があると思います。国宝館の観覧をし、参道へ戻ってきました。国宝館には全然人がいませんでしたが、参道はもう通勤ラッシュ時の中央線みたいな混みようです。

人の流れに身を任せて進んでいくと、大石段が見えてきました。ここの石段で実朝は殺されたと伝わっています。石段を登った先には本宮がありました。

普通の神社であれば、ここで参拝して終わりですが、この神社はここで終わりではありません。奥に宝物殿があり、甲冑や刀剣、絵画を見ることができるのです。これには本当に驚きました。写真撮影が禁止だったため、詳しく魅力をお伝えできないのが残念ですが、鎌倉時代が好きな人は絶対に行った方が良いと断言できるくらい素晴らしい展示でした。本当はもっと行きたい所や見どころがいっぱいあったのですが、時間の都合上泣く泣く切り上げることに。冬は紅葉が綺麗なのが良いですが、その一方で寺院の拝観時間が短くなっていますので、一日に見て回れる場所の数がどうしても少なくなってしまうのが難点です。来年リベンジします。
いかがでしたでしょうか。この記事を書くにあたって、少し調べなおしたところ、建長寺には河村瑞賢の墓があるそうです。いやー、行きたかったですね…。行きたいところがまた増えてしまいました。実際に見てみた感想ですが、同じ鎌倉五山と一言で言っても大きな違いがあることに気が付きました。もちろん、地震や戦災などによって影響を受けたため、元のように栄えていないだけかもしれません。しかし、その一方で苦難を乗り越えて元の輝きを取り戻そうとしていたり、次世代に歴史をつなごうとする試みも見ることができました。今は観光地として人気ではないスポットも長い歴史を見守り続けていたことに変わりはありません。一人の歴史を学ぶものとして、大切なことを学んだ気がします。次の記事は年末の挨拶になるかもしれません。それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。
PS.よくよく考えたらあんな狭い地域に大きな寺院が密集してて平気だったんでしょうか…?寺社同士の勢力争いとかが酷かったのではと思ってしまいました。
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