夏休みも終盤に近づいてきました!コロナに罹って夏休みが一週間ほど潰れた佐々木信綱です。皆さんいい夏休みは過ごせましたか?さて、あと少しで秋学期になります。そんな秋学期にあるイベントといえば…みんな大好き白門祭です。当然、当サークルも参加します。ですが、実は中大には白門祭とは別のイベント「ゲリラ祭」がかつて存在していたのです。今日は、そんな「ゲリラ祭」についてご紹介させていただきます。
まず初めに、今では「ゲリラ祭」は実施されていません。では、いつ頃からやらなくなったのか。これすら正確な情報は分かっていません。調べた限りですと、2009年か2010年が最後となっているのですが、どちらが正しいのか。とにかく謎に包まれたイベントであったことがうかがえます。このゲリラ祭の実行委員会は「全学部祭実行委員会」と呼ばれていました。実はこの当時、この「全学部祭実行委員会」は政治的な団体でありました。ただし、ほかの有名どころの団体(中○派とか革○派)の影響を受けていないノンセクト(無党派層的な感じ)だったようです。ここからは具体的にどのようにゲリラ祭が行われたか見ていきたいと思います。どうやら始まったのは1993年。当時は今までの明確な”敵”であった存在がいなくなり、無理やり焦点化された”敵”と争うような状況でした。そんな中自分たちの音楽と政治主張をゲリラ的にやってしまおうということでサークル棟にあった機材を用いて始まったのがゲリラ祭のようです。アコーディングギターやアンプを校舎に持ってきて演奏したり演説したり。とりあえずこんな感じで無許可で丸1日、朝から日暮れ時までそこに居続けて騒ぐという形で行われていました。これだけならまだ可愛いものですが、1号館(理事会とか運営関係の部屋がある本部棟)を学費問題で2日間占拠したという事件にまで発展する事態にまで至っています。その後、1997年ごろに今まで校舎で実施されていたゲリラ祭がサークル棟中庭に移ります。初期と比べて、政治色はかなり薄まり、普通の学生たちがたくさん参加する野外フェス的なイベントになっていました。学生には年一で開催される白門祭とは別の学園祭として認知されていたようです。
しかし、そんなゲリラ祭にも終わりがあります。これは2010年に大学当局から出された声明の一部です。
昨年、一部の学生の主催によって『ゲリラ祭』が行われました。(中略)実態は、大学閉門時間である23時を超えて未明まで飲酒を続け酩酊し、騒音を発して近隣住民に迷惑をかけるものでした。本学は、(中略)これまで一貫して『ゲリラ祭』の開催を認めてきませんでしたが、(中略)昨年のような事態が繰り返されることはあってはならないことであり、学生諸君には中大生としての自覚を持った良識ある行動を希望します。
以上の声明から分かるように、ゲリラ祭はその最後まで無許可で行われていました。もう少し秩序立って行われていれば、現在まで続く伝統となっていたかもしれません。しかし、今やかつての実態を知る人も少なくなりました。もはや今となってはゲリラ祭を復活させることは不可能でしょう。ですが、その実態を知らないからこそ、かつてのゲリラ祭を経験していた人たちからの話を聞きつつ、いつか再興したいものです。では次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。