2025 年度春遠征 紀行(一部抜粋)

今回は2025年4月30日の春遠征(長野県松本市)の紀行を一部抜粋してご紹介します!

完全な紀行は今年度末に発刊予定の『葦』2025年度総括号をお楽しみに!

【旅程】
・旧開智学校
・松本城
・松本市立博物館


19名の参加者のうち3名の抜粋をご紹介します。
やはり日本国内ということもあり日本史学専攻が多かったものの、キャンパスの違いで普段は関わりの薄い法学部生をはじめそれぞれの専門から色々と考えるものがあったようです…

日本史学専攻2年 K

今回訪れた松本市は⾧野県の中でも指折りの街であり有数の観光都市でもある。松本市は史跡も多く残っており日本アルプスの雄大な山々に囲まれた盆地の上に様々な時代の息吹が今も根付いているのである。

(中略)

さて話を戻すが今回の遠征では旧開智学校と松本城、そして市立博物館に足を運んだ。それぞれ明治時代の学校建物跡と戦国時代の城趾とで時代も関連するトピックも大きく異なるこの2つの史跡であるがそれぞれが持つ歴史的意義は大きいと言える。旧開智学校は民間の手によって作られた西洋風、近代的な小学校であるがそこには明治時代になり大きく変貌を遂げんとする当時の教育の姿が様々な資料として残されていた。一方で松本城は安土桃山時代末期、秀吉が家康の関東転封を命じた後に大規模な天守が建てられており秀吉による天下統一後も軍事的緊張が全国にあったことを示しているように思う。このように史跡には必ずその時代の背景や情勢が色濃く反映されておりそこに現代の我々は歴史の痕跡を見るのである。

ここまでこの2つの史跡の違いを述べてきたが最後にとある共通点について述べて終わりとしたい。それはどちらも「消滅の危機に瀕した」と言うことである。松本城は明治時代の廃城令、旧物破壊の風潮の中で何度か取り壊される危機にさらされた。そして旧開智学校も創設から数年で財政難に陥り、また近代的教育の必要性に疑念を持つ当時の人々によって解体の危機に瀕した。このように現存する史跡の多くは実はかなりの奇跡的確率によってその姿を現代に残しているのであり、今回訪れた松本城、旧開智学校もまたその一つなのである。松本城も旧開智学校も、歴史の荒波をなんとか乗り越え、その時何があったのか、人々は何を思いどんな行動を起こしたのか、そうしたまさに行きた歴史を我々に伝えてくれているのであろう。

日本史学専攻1年 I

今回の遠征で松本を訪れ、現地でしか見ることのできない、様々な様相があることに気がついた。これまでに全国各地を訪れてきて、個人的に盆地という地形が興味深く感じられた。松本も今回が2 度目で、以前は上高地や乗鞍岳にも行ったため、自然に囲まれた特異な地形だとよく分かる。他の地域でも、盆地を利用した町は多く、古都として栄えた京都・奈良や、会津藩の本拠地鶴ヶ城がある会津盆地が挙げられる。他にも鎌倉や平泉など山に囲まれた地域は多くある。それらの地域と同様に、松本も盆地であり、気候が安定していることから、それが松本城とその城下町が発展した1つの要因だと考えられる。また、城下町が藩都として栄えたことで人々が集まるようになり、経済的に安定すると、教育が重視されるようになり、藩校崇教館が設けられた。そして、明治維新期に新たな教育機関として開智学校が設けられ、現在までその存在が引き継がれている。松本城と旧開智学校という2 つの建築物の共通点に、「現存」していることが挙げられる。廃城令や閉校騒ぎでどちらも一時は解体の危機に瀕したが、その有用性や歴史的価値が認められ、現在までその姿をとどめている。

改めて、今回の遠征では、戦国時代以降の歴史の中で様々な要素・事象と絡み合いながら発展し、現在も残る松本の町の姿を見ることができ、歴史の影響をひしひしと感じることができた。

日本史学専攻1年 N

この度の春遠征で訪れた松本市は、歴史・文化・自然が調和する魅力的な町であった。山々に囲まれた地形の中、町には土蔵造りの建物が立ち並び、趣ある景観が広がっていた。

(中略)

ここで私は一つの問いを立てたい。なぜ我々は、松本市の歴史をこれほど微細に体験し、学ぶことができたのか。その答えは明快である。先人たちが歴史を保存し、記録し、研究し、再現してくれたからである。
かつて、万有引力を発見したアイザック・ニュートンはこう語った。
“If I have seen further, it is by standing on the shoulders of giants.”「もし私が遠くを見渡せたのだとすれば、それは巨人の肩の上に立っていたからだ。」
科学の発展が先人の努力の上に築かれているように、歴史の学びもまた、同じく先人たちの積み重ねの賜物である。我々が今回の遠征で学び得た知識や体験も、その努力の上に存在しているのだ。
だからこそ、得た知識をただ消費するのではなく、その正確さや意味を問い直し、後世に伝えていく努力が必要である。私たち自身もまた、未来の「巨人の肩」となり得るのである。今回の遠征で学んだことは、歴史の事実だけではなく、「学ぶことの意味」とは何かという根源的な問いへの気づきでもあった。
この春遠征は、私にとって初めての経験だったが、歴史を学ぶことの尊さと、自らの立場を再確認する貴重な機会となった。知識とは誰かの努力の結晶であり、それを未来へつなぐ営みの一部に自分が加わるという意識を持つことができたことこそ、今回の旅の最大の学びであった。