投稿者: 佐々木信綱

  • 夏だ!歴史だ!夏季遠征だ!

     もう九月ですよ…。そろそろ夏休みも終わりです。皆さまこの休みの間どのように過ごされましたでしょうか。史学研の合宿に同行した佐々木信綱です。本日は夏休み特別号!!史学研の大阪遠征を一会員の立場からご紹介したいと思います。さて、初めに断っておきます。万博のパビリオンの詳細な説明であったり批評はしません。また、それぞれ興味のある時代ごとに班を組み、個別で行動したので、全てのグループの紹介はできません。さらに、万博では単独行動が原則でした。このブログはあくまで自分と自分の所属した班の記録になります。また、記事の分量の都合上端折った行程もいくつかあります。それでは史学研の大阪遠征の記録をご覧ください!

     2025年9月1日。朝9時10分。大阪伊丹空港に到着。飛行機から降りると直ぐに大阪関西万博の広告がズラリ。

    東京を離れ、本当に大阪に来たんだと実感させてくれます。照りつけるような日差しと厳しい暑さ。過酷な環境の中自分たちが最初に向かったのはこれからお世話になるホテル。荷物を預かってもらうと、最初の目的地、四天王寺へ向かいました。日本史で習った伽藍配置の通りに建物が作られていることに謎の感動を覚えます。

    実はこの五重塔、登れるんです

    続いて、お昼を食べて向かった場所は造幣博物館。どうやら桜の名所らしく、春になると桜のトンネルが見られるそうです。しかし、自分たちが行ったときには桜の代わりにトンボがいっぱいいました。中には記念硬貨やメダル、歴史の教科書で見るような古い硬貨など見ていて飽きません。なにより、建物自体が古めかしい外観をしていてとても美しいのです。そして、見学費がタダ!大阪へ観光される方は是非お立ち寄りください。

     ここから狂気の行軍が始まりました。歩いて30分。ここだけ聞けば全然歩ける時間なのですが、この日の最高気温は36.5度。この暑さの中30分歩き続けるのは流石に体に堪えます。ですが、歩いたからこそ見られる景色もあったので、その点は良かったです。

    大川を渡るときの写真。向かって左手側に造幣局があります。

    一日目の最後に向かった場所は大阪歴史博物館。

    すぐ隣にあるnhkホール大阪と繋がっています。大胆な設計!

    古代から近現代に至るまでの大阪の歴史を詳しく紹介している博物館です。自分はあまり博物館に詳しくはないのですが、一般的な博物館は特定の時代にフォーカスしてその時代のものだけを紹介するといった形式ですが、ここは通史を紹介しているという点で珍しい博物館だと感じました。残念ながら閉館時間が近かったため早足で見ることになってしまいましたが、大阪に詳しくない人でも理解しやすい展示になっていたので、短時間ながらとても楽しめた博物館でした。出来る事なら今度行くときはじっくりと見たい…!

     さて、二日目は目玉の大阪関西万博です。夢洲まであと一駅になると、電車内で特別なアナウンスが放送されるのですが、この放送が今から万博へ行くんだと再認識させてくれます。

    照りつける日差しの強さが写真からも感じられると思います。ザ・夏って感じの天気。

    いや~遂に来たといった感じです。ですが、せっかく着いても手荷物検査のため、20分ほど炎天下の中待つことになります。待機中用の日傘を配っていたのでそこでもらっておくのがお勧めです。なんとか入場すると大屋根リングが飛び込んできます。

    上空から見るよりもずっと大きいです。この屋根の下に待機列を並ばせてるパビリオンもあり、ただ大きいだけではなく、実用性も兼ねているようです。上に登って見る景色はこんな感じ。

    見渡す限り人ばかり。修学旅行で来たと思われる学生さんも多くいた印象です。
    結構いい景色。海も空も真っ青でした。

    リングの上は風が強く吹いており、涼みたくなったらここに登るのも一つの手です。最初のうちはどこに何があるのか分からず、混乱するかもしれませんが少しリングの中を歩けば、迷子になることはないと思います。さて、肝心のパビリオンですが、予約がないととんでもなく待ちます。予約制でないパビリオンも平気で1、2時間待ちます。帽子や日傘なしだときついです。幸い、ボトルに水を入れられるスペースがあるので、ペットボトルや水筒を持っていきましょう。また、ベトナムパビリオンでは帽子ではありませんが、ベトナム伝統の笠、ノンラーが売っています。

    首までカバーできるのでとても快適。お土産にしてみてはいかがででしょう。時間がない方なら、コモンズがおすすめ。一つの建物に複数の国のブースがあり、見ごたえがあります。ほぼ待ち時間がないのもいい点です。名前すら知らない国や内戦から復興しようとしている国など様々な国が一度に知れるコモンズ。是非お越しください。また、万博では現金での支払いができないのですが、交通系で決済できるので、念のためチャージしとくと安心。あと、モバイルバッテリーは必ず持参しましょう。スマホの電源が切れ、自分は帰りの電車と乗り換えが分からなくなって駅員さんに聞く羽目になりました。ちなみに暑さに関しては本当に酷く、19時近くになってもかなり蒸し暑かったです。そんな暑さや待ち時間など色々大変なこともありましたが、行くか迷ってらっしゃるなら、行った方がいいと思います。帰るころには不満要素をきれいさっぱり忘れる程の満足感がありました。21時くらいからドローンショーやイベントがあるので、夕方比較的涼しくなるころ合いを見計らって行くのも手です。

     三日目は神戸へ向かいました。最初に向かったのは生田神社。

    社殿の裏側に森が戦場跡として保存されています。

    三宮駅からすぐのところにあるこの神社は神功皇后(応神天皇の母)が建立なさりました。生田神社では稚日女尊が祀られていて、縁結びのご縁があると言われています。また、一ノ谷の戦いではこのあたり一帯も戦場になったそうで、神社内にも史跡が多数残されていました。史跡となっている森はとても静かで、都会の喧騒を忘れさせてくれます。

    続いて向かったのは北野異人館。個人的にこの遠征で一番印象に残った場所です。お洒落な西洋風の建物が何軒か並んでおり、それらまとめて異人館というそうです。ヴィクトリアン様式というのでしょうか、日本ではあまり見られない様式の建物ばかりで異国情緒溢れる雰囲気を楽しめます。全部で六軒あるうちの三軒を見たのですが、本当に見ごたえがあり全部回ろうと思ったら、丸一日かかりそうです。世界史、特に近現代史が好きな人は本当に心の底から楽しめると思います。19世紀末から20世紀初めくらいの何とも言えないロマンを味わえる素晴らしいスポットでした。すぐ近くに北野天満宮もありましたが、時間の都合で行けず…。寺社巡りはまたの機会に持ち越しとなりました。

    神社っていうと生田神社みたいな朱色のイメージがつよいですが、この神社は白を基調としているようです。白い神社って珍しい気がします。

    続いて、お昼を食べて向かったのは湊川神社。かの楠木正成を祀る神社で創建は1872年です。楠木正成は理想的な勤王家として多くの幕末期の志士から崇敬されており、神社として整備される前から多くの志士が正成のお墓参りをしたと言われています。有名どころですと坂本龍馬や吉田松陰もお参りに来たんだとか。境内には宝物殿と呼ばれる博物館があり、刀剣や甲冑を展示しています。残念ながら行った日は休館日で見ることはできなかったので、次行くなら必ずそこまで見に行きたいところ。その後神戸地方裁判所や税関、海軍操練所跡へ向かいましたが、記事の分量の都合上省略させていただきます。

     四日目の最終日は日本史と言ったらここ。古都京都になります。向かったのは南禅寺。

    日本史だと名前は出てくるけど、写真ではあんまり見ない気がします。

    南禅寺自体も有名ですが、自分たちは南禅寺の敷地内にある水路閣目当てで向かいました。

    世界史に詳しい方であれば、古代ローマの水道橋との比較とかができるのでしょうか…

    このレンガと花崗岩が重厚な印象を与えてきます。この西洋風の水路橋と純和風の寺が同じ空間に存在する景色は日本では中々お目にかかれないのではないでしょうか。

    こころなしか平安京の大極殿に似てる気がします。

    続いて向かったのは平安神宮。平安と名前がついていますが、創建されたのは1895年です。桓武天皇と孝明天皇を祀る神社で、その名前の通り平安京の朝堂院に似た広大な敷地を有しています。また、平安神宮内の蒼龍楼・白虎楼は和風建築ではあまり見られないを様式をしていました。

    屋根の真ん中から小さい櫓(?)が建っている建物はそうそうお目にかかれないでしょう。

    建築様式に関してはど素人なので詳しいことは存じ上げないのですが、中国の影響をもろに受けていそうな作りな気がします。それよりも驚いたのが広大な庭園です。社殿を囲うように四つのから成り立っています。見るからに美しい庭園ではあったのですが、晴れていればもっときれいだったんだろうなと…。

    この日はあいにくのお天気で曇り空。雨が降るかもしれないという不安は当たることになりました。平安神宮を出て三十三間堂へ行ったのですが、出ることには大雨。

    気分はさながら羅生門の下人。雨やみを待っています。

    最後の最後に雨に降られてしまいました…。しかし、これが御利益というものでしょうか、雨が降り出してから10分もしないうちに雨はやみ、無事待ち合わせ時間までに空港へ着けました。

     この大阪への遠征を通して多くのことを学べたと思います。一つは”本物”に触れる重要さです。今まで教科書や資料集の中でしか見てこなかった存在や知識としてでしか認知していなかったものに実際に触れることでより体系的に理解することができるようになったと思います。五感を通してでしか分からないことや実際にその場に行って初めてわかることが本当に多いと痛感しました。これは歴史学のフィールドワークと通じるものがあるのではないでしょうか。二つ目はかつての先人たちと同じ場所に今自分がいるということを通して、歴史的事実をより近い距離で感じれるようになったことです。戦場の跡や有名な寺社へ行くと、かつての偉人達も同じ景色や風景を見たという実感がふつふつとわいてくるのを感じます。まさに、これこそが史跡へ行くことのロマンであり、醍醐味だと思います。いかがでしたか。とにかく投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした!それではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 中央大学に存在した奇祭 ゲリラ祭について

    夏休みも終盤に近づいてきました!コロナに罹って夏休みが一週間ほど潰れた佐々木信綱です。皆さんいい夏休みは過ごせましたか?さて、あと少しで秋学期になります。そんな秋学期にあるイベントといえば…みんな大好き白門祭です。当然、当サークルも参加します。ですが、実は中大には白門祭とは別のイベント「ゲリラ祭」がかつて存在していたのです。今日は、そんな「ゲリラ祭」についてご紹介させていただきます。

     まず初めに、今では「ゲリラ祭」は実施されていません。では、いつ頃からやらなくなったのか。これすら正確な情報は分かっていません。調べた限りですと、2009年か2010年が最後となっているのですが、どちらが正しいのか。とにかく謎に包まれたイベントであったことがうかがえます。このゲリラ祭の実行委員会は「全学部祭実行委員会」と呼ばれていました。実はこの当時、この「全学部祭実行委員会」は政治的な団体でありました。ただし、ほかの有名どころの団体(中○派とか革○派)の影響を受けていないノンセクト(無党派層的な感じ)だったようです。ここからは具体的にどのようにゲリラ祭が行われたか見ていきたいと思います。どうやら始まったのは1993年。当時は今までの明確な”敵”であった存在がいなくなり、無理やり焦点化された”敵”と争うような状況でした。そんな中自分たちの音楽と政治主張をゲリラ的にやってしまおうということでサークル棟にあった機材を用いて始まったのがゲリラ祭のようです。アコーディングギターやアンプを校舎に持ってきて演奏したり演説したり。とりあえずこんな感じで無許可で丸1日、朝から日暮れ時までそこに居続けて騒ぐという形で行われていました。これだけならまだ可愛いものですが、1号館(理事会とか運営関係の部屋がある本部棟)を学費問題で2日間占拠したという事件にまで発展する事態にまで至っています。その後、1997年ごろに今まで校舎で実施されていたゲリラ祭がサークル棟中庭に移ります。初期と比べて、政治色はかなり薄まり、普通の学生たちがたくさん参加する野外フェス的なイベントになっていました。学生には年一で開催される白門祭とは別の学園祭として認知されていたようです。

     しかし、そんなゲリラ祭にも終わりがあります。これは2010年に大学当局から出された声明の一部です。

    昨年、一部の学生の主催によって『ゲリラ祭』が行われました。(中略)実態は、大学閉門時間である23時を超えて未明まで飲酒を続け酩酊し、騒音を発して近隣住民に迷惑をかけるものでした。本学は、(中略)これまで一貫して『ゲリラ祭』の開催を認めてきませんでしたが、(中略)昨年のような事態が繰り返されることはあってはならないことであり、学生諸君には中大生としての自覚を持った良識ある行動を希望します。

    以上の声明から分かるように、ゲリラ祭はその最後まで無許可で行われていました。もう少し秩序立って行われていれば、現在まで続く伝統となっていたかもしれません。しかし、今やかつての実態を知る人も少なくなりました。もはや今となってはゲリラ祭を復活させることは不可能でしょう。ですが、その実態を知らないからこそ、かつてのゲリラ祭を経験していた人たちからの話を聞きつつ、いつか再興したいものです。では次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 映画レビューしながら歴史叙述について考えてみる

     残暑が厳しくなってまいりました。皆さまお体は平気ですか?巷じゃコロナが流行ってるそうですが、まだまだコロナや暑さに負けないよう頑張っていきましょう!さて、この季節に近づきますと、テレビで多くなるニュースといえば、当然戦争関連のニュース。特に今年は戦後80年という節目の年ですから、より扱う機会が多くなるのも当然でしょう。そして、戦争系の映画も大体このくらいの時期に公開されることが多いです。というわけで、前置きが長くなりましたが、今週は終戦記念日に公開された映画「雪風 YUKIKAZE」のレビューをします。映画という物語・ストーリーとしての面白さと歴史的な正しさの両立という歴史学、歴史叙述に深いかかわりのあるとっても史学研究会らしい記事です!

     まず、自分のような素人で的確に物事を表現する語彙力がない人間の批評ですので、あまりあてにしないでください。まずはいいところから書いていきます。一つ目の良かったところはテーマが一貫しているところです。”人命救助”というテーマで終始描かれていて戦争映画に苦手意識がある人でも抵抗なく見られる作品だと思います。また、ただ人を助けるシーンだけではなく、共に戦っていた仲間がいきなり死んでしまうシーンもあり、戦争の恐ろしさとむごさを表現できている思いました。二つ目は”雪風”という駆逐艦を世間に認知させる存在として役に立っている点です。映画の内容と関係ないかもしれないですが、一般の人に雪風の存在を知ってもらうことは戦後80年経とうとする日本において大事なことだと思いました。

     続いてよくない点ですが、人命救助をテーマとしておきながらその肝心の助けるアングルがあまりにもワンパターンすぎたことが挙げられます。最大の見せ場のはずなのにそんな見せ方で良かったのかと疑問です。あとこれが全てですが、あまりにも史実に即していなさすぎるのが本当に残念でした。どの艦が撃った砲弾・魚雷でどの艦が沈んだかくらいはせめて史実通りにしてほしかったと言わざるを得ません。自分は”戦争映画”としてこの映画を見に行ったこともあり、そこの落差に耐えられませんでした。第二次世界大戦に詳しくなく、戦争映画に抵抗のある人にはこのあたりの問題は発生しないでしょうから、見る人を選ぶと言えます。

     最後に、この作品のテーマである”人命救助”と歴史的な正しさの両立について触れて終わりたいと思います。先ほども書きましたが、この映画が史実を忠実に再現しているとは言い難いです。だからといって面白くないというわけではありません。しかし、そこの歴史の正しさの部分を削ってまで作り出したテーマを十分に活かせていたといえば嘘になります。しかも、一番大事な人命救助のシーンは面白みがなく、何度も見させられ飽きてくる。この歴史的な正しさと物語としての面白さを両立できる先品こそが、面白い歴史モノといえるのではないでしょうか。

     いかがでしたか。もしこの感想を読んで、見に行きたいと思ったら、是非映画館へ行ってみてください。ではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • かつて中大に存在した謎の行事について

     ここ最近は涼しくなってきましたね。お盆の時期になりました。佐々木信綱です。突然ですが読者の皆さん!中大の多摩キャンパスから後楽園キャンパスまでどのくらいの距離があるのかご存知ですか?直線距離で大体32kmほどの長さです。しかし、これはあくまで”直線距離”での話。実際に道に沿って行こうとするとこれよりもかなり長くなることは容易に想像できます。

     そんな長距離を歩くイベントがなんと、昔はあったのです。実際にこのナイトハイクに参加した父に聞いたところ、かなり多くの学生が参加したそうです。具体的な人数でいうと3500人以上。これだけの大人数が後楽園キャンパスから多摩キャンパスへ歩いたと考えると、とても規模が大きいイベントであったことが伺えます。そんなナイトハイクは1994年を最後に実施されていません。どうやらデイハイクというイベントが代替となって、実施されている(いた?)ようです。なぜ、ここで今も実施されていると断言できないのかというと、これの告知ポスターを探したところ、最後の物は2018年の物。学内でこれと似たような類のものを見かけた記憶がなく、今は実施されてないと考えるのが妥当でしょう。

     そんなナイトハイクをなんと!史学研究会は今年やることにしました!この記事を読んでらっしゃる方で史学研究会に入ってらっしゃる方は是非、ご参加ください。それでは次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした!

    参考にさせて頂いたサイト

    最後(?)のデイハイク告知ポスター chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/10/9616_11029105.pdf?1552521600076

    いま、よみがえる名物行事「ナイトハイク」 chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.chuo-u.ac.jp/media/onechuo/20240730/oc_20240730_15.pdf

    人様のnoteですが、ナイトハイクについて当時のことも交えて詳しく説明がされています。本校の歴史に興味がある方はぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。 https://note.com/bokibookkeeping/n/n2ad17b8f5aa3

  • 中大近くにある博物館

     中大生の多くはモノレールを使い登校しています。かくいう私もその一人です。そして、モノレール通学する人の多くが中央線と乗り換えができる立川駅から乗ってきます。そんな立川駅ですが、すぐ近くに昭和記念公園があるのは読者の皆さまもご存じのことだと思います。しかし、その昭和記念公園の中に昭和天皇記念館があることはあまり知られていません。また、あると知っていたとしても、昭和記念公園に行く機会があまりないので、行ったことがある人はほとんどいません。しかし、せっかく近くに面白そうな施設があるのなら、行かなきゃ勿体ない。その精神で昭和天皇記念館へ行ってまいりました。本日の記事はそこのルポになります。

    昭和天皇が実際に使っていた玉座

     昭和記念公園はお金を払わないと入場できません。しかし、昭和天皇記念館は無料エリア内にあります。払うお金は入館料だけです。朝09:30の開館時間めがけて家を出ましたが、すでに外は灼熱地獄。公園の入口から記念館へはそれなりに距離があり、5分ほど歩かねばならないのですが、そこの5分がまあ大変。空調のきいた建物に入り、生き返ったところで入館料を払います。高校生・大学生は300円でした。いざ、展示スペースへ行ってみると…。あまり広い施設ではないようです。それこそ博物館ではなく”記念館”ですので、これくらいの規模感でも十分といったところ。昭和天皇が実際に使っていたものから幼少の頃の映像まで展示されていました。また、何よりも驚いた展示物は終戦の詔書の複製品です。所々修正・加筆された跡が残されており、歴史の重みを実感することができました。それ以外にも、普段はあまり注目されない戦後の昭和天皇の行幸など新たな一面が知れる展示内容となっています。個人的にはもっと戦前から戦中に至るまでの展示を増やしてほしいというのが本音ですが、そこらへんは様々な博物館で詳しく紹介していると思うのであまり不満はありませんでした。

     さて、今日は立川にある昭和天皇記念館についてご紹介させていただきました。中大からモノレールで一本ですので、ぜひ皆さま行ってみてはいかがでしょうか。ではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした。

  • 【祝】前期が終わり!!

     こんにちは。こんなに暑いのに部屋にクーラーがないので扇風機で耐え抜いている佐々木信綱です。一番の節約方法は家にいないこと。電気代がもったいないので日中はショッピングモールやデパートの中にあるベンチ、図書館で涼むのが日課となっています。店員さんに顔もう覚えられてるかも…。出禁にならないことを祈るばかりです。

     さて、今日は7月31日。ようやっと前期が終わりました!いやー長かった…。前期では春の松本遠征をはじめ、多くの活動をしてきました。まだ大学に入ったばかりですが、歴史に興味がある人が集まり、部室で絶えず議論している空間はかけがえのないものだと実感しました。後期になってからも白門祭などたくさんのイベントが待っています。学外の方も是非史学研のブースにお越しください。きっと歴史に詳しくない方でも楽しめる展示ができていると思います。それでは次の記事でお会いしましょう。さようなら。

  • こないだ生協で買った本の紹介

     ここ最近投稿ができなくてすいません。テスト期間が終わってようやく更新できるようになりました。佐々木信綱です。夏休み中週一投稿を目指して頑張りますので、本日もお付き合いのほどよろしくお願いします。さて、ここ最近の投稿で中大の校歌の歴史だったり、中大に関わるものばかり書いてきました。ここで心機一転、生協で買った本について紹介しようと思います。なお、ここで紹介する本は全て講談社学術文庫からのものになります。

    今回紹介する本一覧

     一冊目は『遠野物語』です。このブログを読んでらっしゃる方はご存知でしょうが、柳田國男の書いた日本民俗学の教科書的な本になります。今では大衆に受容されている河童やザシキワラシがこの本によって再発見されたといっても過言ではないでしょう。原文の『遠野物語』は古文調で書かれています。森鷗外の『舞姫』みたいな感じです。原文のままだと、読むのがつらいという方は現代語訳版を読むことをお勧めします。

     二冊目は三浦佑介『神話と歴史叙述』です。以前の記事で戦前の教科書について触れましたが、そこでは日本神話を事実として捉え、本当の歴史の一部として扱っていました。しかし、いまではそうではありません。いったいどこまでが神話でどこからを文献として扱うのか。そんな疑問を解決してくれる一冊です。

     三冊目は野本寛一『言霊の民俗史』です。遠野物語とテイストは似ていますが、内容には差があります。実は自分が前期で履修した科目で言霊について触れた授業がありまして。それに啓発されてつい買ってしまったという感じです。その授業では和歌と言霊には大きな相関関係がある的なことを言っていました。もしこのブログを読んでらっしゃる人がいたら、是非とも履修してみてください。「日本の思想の歴史」という授業です。

     最後の一冊は坂本太郎『日本の修史と史学』です。日本にはそれこそ記紀に始まり現代に至るまで無数の歴史書が書かれてきました。例えば、『吾妻鏡』や『本朝通鑑』。挙げればきりがないでしょう。この本はそういった歴史書の解説をしている本になります。過去の歴史書での歴史の見方、いわゆる”史観”への理解が深まる一冊となっています。

     ここで紹介した本を生協で買うと普通の本屋さんの一割引きくらいの価格で買えます。是非お買い求めください(生協からの案件ではりません。生協さん案件ください)!夏休み、学生にとっては長い期間です。この期間に本を読んではみませんか?ではまた次の記事でお会いしましょう。以上、佐々木信綱でした!

  • 今日で創立140周年の中央大学

    おめでたいことに!本日で中央大学は創立140周年を迎えます!この素晴らしい記念日にこのブログを更新できることをとても嬉しく思います。実は自分の祖父も父も中央大学に通っており、幼いころから中央大学に畏敬の念を抱いていました。そんな憧れの学校に晴れて今年から白門をくぐれるようになりました。中央大学がこの先末永く多くの学士を輩出する学び舎であり続けてくれることを私は信じてやみません。

  • 中央大学の校歌の歴史について

     カラオケで必ず歌う曲は中央大学校歌。どうも愛校心あふれる佐々木信綱です。先日も高校の友人とカラオケに行って当然のように中央大学校歌を歌ったわけですが、お世辞にも上手といえるほどうまく歌えず…。練習しようと思い、校歌をyoutubeで聞いていたら、生協に中大校歌のCDが売っていると聞き、本当に売っているか調べたところ、なんと実際に売っていました!そんな中大の校歌ですが、調べてる間に面白そうな情報がいっぱい分かったので、この場を借りてご紹介したいと思います!

    学生にこの値段は手が出しずらいかも…?

    実は今の校歌って…

     さて、現校歌(草のみどりに)は一九五〇(昭和二十五)年八月に制定されたそうです。中大の前身である英吉利法律学校が設立されたのは1885年。では、それより前に中大に校歌がなかったのかと言われればそういうわけではありません。実は「草のみどりに」は三代目の校歌なのです。初代の校歌が作られたのは1921年で二代目が制定されたのが1926年のといった具合です。ここで勘のいい方は気づかれたかもしれませんが、初代校歌は大学令による大学設立認可を得た翌年に制定されているのです。あたかも、大学設立認可を得たことを祝うかの如く制定されています。作詞者は、宮脇信介氏、当時、専門部法学科三年生の方でした。校歌を制定するにあたり、歌詞を学生をはじめ学内関係者から募集することとなり、貼り出された歌詞募集の掲示を見て、応募なさったそうです。作曲者は中田章氏です。ですが、残念ながら、初代校歌は早々にうたわれなくなってしまいます。理由はいろいろ考えられますが、歌詞が不適になってしまったというのが一番の要因でしょう。中大は錦町から駿河台に移転しており、実情と合わなくなってしまったのです。ですが、ただ歌詞中にあるく錦の町〉の部分を替えればよいというだけではすまされず、すぐに改定しなければならない内容でもありました。たとえば、歌詞の中で〈三十余年の不僥の歴史〉とか〈法経商の五千の学徒〉などです。〈三十余年〉は、四十年以上経ってしまえばもはや意味がありませんし、〈法・経・商〉は、新しい学部が設置されれば困るし(昭和二六年には自分も所属している文学部が設置されます。そして、平成五年には総合政策学部が設置されています)等から考え合わせれば、いかに、その時点での実情に合わせて作詞されているかが分かるでしょう。

    ちなみに、今の中大の学生数は2万7千人。歌おうとするととんでもなく語呂が悪いですね。

    二代目の校歌

     そんな初代校歌ですが、上記の理由の通り、歌われなくなってしまいました。その後制定されたのが二代目校歌、通称「皇国の礎」です。哲学を担当していた小林一郎教授の作詞、当時すでに音楽家として盛んな活動をしていた山田耕筰による作曲となります。日本が敗戦すると、歌いだし部分の「皇国」の部分が不適切であるとされ、変更を余儀なくされてしまいます。あくまで個人の感想ですが、先ほどの初代校歌と違い、変更する箇所は歌いだしの部分だけで良かったので、わざわざ新しく作り変えるほどのことでもない気がします。まぁ、そうもいってられなくなったので、新しく校歌を作ることになるわけですが、それまでの間は歌われ続けていたようです。たとえば、新入生に対して、毎日のように昼休みの大講堂において、この校歌の歌い方指導が行われていたとも言われています。

    youtubeにレコードの音源がありました。リンクは貼れませんが、ぜひ調べて聞いてみてください。

     このように、中央大学校歌には深い歴史があるのです。「草のみどりに」はネット上でやれドラ〇エにイントロが似てるとかネタにされがちですが、それよりも前に二つの校歌があったことをぜひ、このブログを読まれている方には覚えておいてほしいです。それではまた次の記事でお会いしましょう!さようなら

    参考にさせていただいた文献・サイト

    中央大学の歌ー白門に栄光あれ 画像も引用させていただきました。

    タイムトラベル中大125

  • 多摩キャンパスにある㊙スポットについて

    皆さんこんにちは。一気に熱くなりましたね…。いかがお過ごしでしょうか。冷房のついてない自室で扇風機と共に過ごすしがない中大生の佐々木信綱です。夏といえば夏祭り。夏祭りと言えば神社。ということで今回は中大敷地内にある神社についてお話しようと思います。

    そもそも中大ってどのくらいの広さなの?

     「そんな場所中大にあったんだ」と驚かれたそこのあなた。中大の広さを舐めてもらっては困ります!ですが、中大に来たことがある人も来たことがない人も実際どのくらい中大が広いのかあまりご存じないと思います。なんと、某千葉の夢の国とほぼ同じ大きさなんです!

     経済学部棟がモノレ-ル駅から一番離れているのですが、そこからさらに先に行くと資料館があります。これは中大に来られたことがある人もここまで行かれたことはないでしょう。南側に目を向けると総合政策学部棟があり、その先にはモノレ-ル口とは別の入口があるといった具合です。その近くにバスターミナルがあるらしいのですが、そこまで行ったことのある人は学生を含めてもほんの一握りでしょう。

    いざ神社へ…

     そんな総合政策学部棟からモノレ-ル口方面に目を向けると山(森or丘)がそびえています。その山には一応登れるように道が作られているのですが、思いの外険しく舐めてると痛い目を見るはめに…。そんな山を登った山頂には。なんと、神社があるのです‼

    史学研部員撮影

    神社といっても小さな鳥居とお社があるのみですが、金住稲荷と名付けられた立派な神社です。荼枳尼天(仏教の神様らしいです。神仏習合を感じますね)を祀っているらしく、とても大学の敷地内の中とは思えない景色がそこにはあります。この土地には、多摩キャンパスができる前から農業神が祀られていましたが、キャンパス造成の際、神社は一度別の土地に遷宮され、キャンパス完成後に再び校地内に遷宮されました。毎年二月には、中央大学の発展と学生の活躍を祈る初午の例祭が行われ、鳥居が奉納されています。調べたところによると、江戸時代に中大のあるこの辺りにあった金住院の名にちなんで名付けられたそうです。もし来られる際にはサークル棟の方から登られることをお勧めします。多分そちらから登られたほうが早いです。 

     この記事を読んでぜひとも行ってみたいと思われても、今この季節に行くことをお勧めしません。先ほども述べた通り、険しい道が続く山名なので、どんな虫だったり、下手すれば蛇が出てくるかわかったもんではありません。この記事書いてて思い出したんですが、中大の医務室にはハブの血清が三人分あるんだとかないんだとか…。今はさすがにハブは出ないと思いますが、少なくともハチは出てくるでしょう。君子危うきに近寄らず。ぜひ白門祭の季節にいらしてください。でも白門祭の季節も虫の代わりにカラスとかが危ないかもしれません。
     以上佐々木信綱でした。ではまた次の記事でお会いしましょう‼皆様暑さにお気を付けて。さようなら。